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2018年3月 3日 (土)

今ごろ見る『ブエノスアイレス』

1990年代後半はとにかく仕事が乗りに乗っていた頃で、なかなか映画を見る時間がなかった。たぶん新作は年に30本くらいしか見ていないのではないか。ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』(1997)は、絶賛する人々に苦手なタイプが多かったこともあって、見なかった。

今回、新聞で「明日まで」という広告を見て、急に見に行った。20年後の今になって初めて見ると、やはり当時の予感は当たっていたと思う。序盤は意味なく白黒の映像を混ぜてノスタルジックな感じを作り出す。全体に夜のシーンが多く、そこに黄色やオレンジの光が退廃的に当たる。

昼間のシーンでも部屋の中ではカーテンを閉じ、野外は黄色のフィルターをかけたような映像に仕上げる。そしてスローモーションやコマ落としや長回しを多用する。そこに、ピアソラやフランク・ザッパやガエターノ・ヴェローゾの憂愁を帯びた音楽をかける。

要はミュージック・ビデオのようなもので、クリストファー・ドイルのカメラはドラマよりも雰囲気作りが中心になる。物語は単純で、ファイ(トニー・レオン)とウィン(レスリー・チャン)のゲイのカップルが香港からブエノスアイレスに行って「やり直し」を試みるが、2人は素直になれずいつもすれ違うというもの。

そのグズグズを凝った映像で何となくそれらしく見せながら、思わせぶりの音楽を入れる。私には、この2人の「愛」自体があまりリアルなものに思えなかった。そのうえ、ファイがウィンのパスポートを隠すことも、中盤から出てくるチャンとフェイの関係もよくわからない。

描かれたブエノスアイレスはまるで絵葉書のようで、2度行った私にはあの土地の匂いが感じられなかった。イグアスの滝の長回しは平凡だし、ブエノスアイレスの中心街を俯瞰のコマ落としで撮った夜景を何度も見せる陳腐さに驚く。つまりはエキゾチックな背景。

映画で男性同士が裸で抱き合うことが珍しかった時代に、ある種の新しいファッションとしてゲイを見せてたのではないか。この映画をほめることが、まるで時代の最先端にいるかのような幻想を与えたのかも。当時絶賛した友人たちは、男女ともそういうタイプが多かった。

でも、「なぜこの作品の評価が当時は高かったのか」と思うのは、映画ではよくあること。この映画のあらゆる要素が、20世紀末の「時代精神」にマッチしたのだと思う。そういえば、フランス人やイタリア人にも好きな人が当時多かった。


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