『祝祭の日々』に溢れる「教養」
私は、大学生くらいから自分が「教養」がある方だと思ってきた。22年間の会社員時代もそうだし、大学教員の今さえもそれなりのつもり。ところが高崎俊夫氏のたぶん初めての本『祝祭の日々 私の映画アトランダム』を読んで、その自信は吹っ飛んでしまった。
映画のみならず、文学、音楽、美術にわたるその博覧強記ぶりはすごい。そのうえ、渋い有名人と知り合いでその交遊録もおもしろい。「教養」と書いたが、むしろいい意味での「趣味」かもしれない。とにかく書いている本人が楽しんでいるのが伝わってくる。
高崎さんは存じ上げているが、この本の内容もそうだし、風貌を考えても私より軽く10歳は上の方だと思っていた。ところが本の略歴を見て、たったの7つ上であるとわかった。昔、アート系映画館の「イメージ・フォーラム」がまだ四谷で折り畳み式椅子で実験映画をやっていた頃、同名の雑誌を出していて、高崎さんはその編集部にいたはず。
それからはフリーの編集者として、松本俊夫氏の『映像の発見』のような名著を復刊したり、映画スクリプターの白鳥あかねさんの自伝『スクリプターはストリッパーではありません』を編集したり。『キネマ旬報』などの映画雑誌にも書いている。
この本はネットで連載していた短めのエッセーをまとめたものだが、やはりネットで読むより何倍も有難味がある。
例えば「織田作之助と川島雄三」という文章がある。作家の小沢信夫氏からもらった年賀状で、織田作之助=織田作が生誕百年だったことを知るという書き出し。筆者は織田作が好きで、その理由は川島雄三の本『サヨナラだけが人生だ』を読んだら、「川島雄三が戦時中、織田作之助と意気投合して、<日本軽佻派>を名乗り、ふたりで暗い世相を笑い飛ばす実にバカバカしい手紙をやりとりしていたことを知って興味を覚えたのだ」
それから織田作の全集で書簡を確認し、川島雄三の映画で織田作の影が感じられる作品を挙げる。さらに『貸間あり』の脚本で川島とコンビを組んだ藤本義一が師弟関係を結んだことに触れる。そして筆者が藤本に原稿を依頼して、「川島雄三」と呼び捨てにして電話口で怒られた話を交える。教養と実際の付き合いが交差する。
「ふたつの『ノスフェラトゥ』 あるいは村上春樹との映画談義」では、最初に「日本でもっとも優れたジャズ評論家は誰か? 私は昔から村上春樹ではないかと思っている」という私にはびっくりの文章からはじまる。筆者は村上が「ピーター・キャット」というジャズ喫茶をやっていた時に通っていた。そして村上の自宅に行った話や雑誌『海』のエッセーの連載の話からヘルツォークの『ノスフェラトゥ』がなぜつまらないかという話に及ぶ。
こうやって書くときりがないが、いくつかは私とも関係がある。「日活ロマンポルノ考 堀英三という映画記者がいた」の堀氏にはその後お世話になったし、「幻の日活映画『孤獨の人』をめぐって」は、この映画を去年の12月に私の学生が企画した映画祭で上映した。
「遅ればせながら矢島翠を追悼する」では、たぶん私が矢島さんに最後の映画の文章を依頼したし、「田中眞澄の遺稿集『小津ありき』」は、そのうち1つは私が田中さんに頼んだものでここでも触れてある。
ほかにも蓮實重彦、秦早穂子、川喜多和子、奥村昭夫といった私も交流のある(あった)方々も出てくる。高崎さんの足元にも及ばないが、少し関係があるだけでも嬉しい。映画について文章を書く者は、一度この本を読むべきだと思う。私は本棚の一番近いところに置いて、時々取り出そうと思う。
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