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2018年3月22日 (木)

『原節子の真実』に思うこと

2年ほど前に出た石井妙子著『原節子の真実』をようやく読んだ。出ているのは知っていたがこれまで読まなかったのは、この種の「ノンフィクションライター」の映画本は、話をおもしろくするために映画史的な間違いを書いてしまうことが多いから。

ある時本屋で目の覚めるような原節子の写真に誘われてこの本を手にしたら、「まえがき」に原節子が亡くなる直前に自宅を訪ねた話があって、引き込まれて買った。文章は平易で読みやすく、確かに原節子についてその内側から見た「真実」のようなものが立ち上がってくる。

この本には、原節子が出た映画についての著者の評価はまず出てこない。当時評価は高かったのか、どのように受けとめられたのか、当たったのかなどを雑誌や新聞から丹念に拾い上げる。それから彼女の周りにいた人々の言葉も拾う。新聞や映画雑誌のほか週刊誌やファン雑誌や通った学校の文集まで。

たぶん一番の功績は、戦時中に東宝の助監督で原節子と噂があった清島長利との交際の事実を突き止めたことだろう。原節子と親しかった東宝のスクリプター杉本セツ子(1923年生まれ)と会い、戦時中の原の日常や清島が原節子と仲良くなって東宝を追い出された事実を語る。

さらに筆者は杉本の紹介で、清島の長男、利典に会う。そこで清島の妻が原節子の影に苦しんで離婚した事実を知る。清島が再婚した若い後添いを杉本は「私にはとても原節子さんに似た方に見えました」

しょせんこんなことはゴシップに過ぎない、とも言えるだろう。とりわけ映画史にとってはあまり関係のないことだ。しかし、確かに「原節子の真実」はある気がする。

映画史的には、例えば原が出演した『新しき土』(1937)が製作されたのは、ドイツの武器商人フリードリッヒ・ハックの発案による、といった記述は、瀬川裕司の日独資料の驚異的な調査による『『新しき土』の真実』が出た今となっては、俗説としか言えない。そもそもこの本は、まるで見てきたようにドラマ仕立てにして発言を再現しているのも嘘っぽい。

しかし原節子が『新しき土』を携えての4か月の欧米旅行から帰国して、「大根女優」というレッテルが張られるあたりの記述には「真実」があるのでは。ディートリッヒに会い、欧米の映画界を見た彼女は、自分を通すことを学んだ。だから水着姿や舞台挨拶を拒否した。

原節子と言えば、今では監督の小津安二郎の名前と結びついているが、代表作はと聞かれて「『わが青春に悔いなし』『安城家の舞踏会』『お嬢さん乾杯!』のうちのどれかを挙げてお茶を濁した」「彼女はなぜか小津作品だけはかたくなに挙げなかった」。そしてイングリッド・バーグマンに憧れて、「細川ガラシャ夫人」を演じてみたいと言う。

監督だった義兄の熊谷久虎についても相当の文章が費やされているが、これについては後日。この本を読むと彼女にとっての映画は、結局すべて義兄の存在があってのものであったように思える。小津は世間で思われているほど重要ではなかったのでは。

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