今も日本は「普請中」か
最近、自宅の近所で工事が多い。2つある最寄り駅のうちの1つにたどり着くまでの5分ほどの間に、マンションやビルが5カ所で建設中だ。ある時、ふと「普請中」という明治の小説の題が浮かんだ。
最初は漱石かと思って、手元にある漱石の本をめくるが見当たらない。ネットで検索すると鴎外だった。何と、「青空文庫」で全文がネットに掲載されていた。確かに著作権は切れているとはいえ、便利な時代になった。
昔読んだはずだが、何十年ぶりに読んでみると、小品だが妙な魅力がある。舞台は築地精養軒ホテル。外国人を接待する場所として明治の初めに作られた場所だが、この小説が書かれたのは明治43年=1910年。つまり明治の末期で日本は日清、日露戦争に勝って調子に乗っている頃のはずだが、主人公の渡辺は暗い。
かつてのドイツ留学時代の恋人が日本に訪ねてきたので、精養軒に招待したという話だから、『舞姫』の別バージョン。ただしこちらは自分も日本も恋人も極めてクールに描かれている。
「あたりはひっそりとして人気がない。ただ少しへだたったところから騒がしい物音がするばかりである。大工がはいっているらしい物音である。外に板囲いのしてあるのを思い合せて、普請最中だなと思う」
つまり精養軒は工事中だった。そして中に入るとあちこちに雑多なものが意味なく置かれていた。「日本は芸術の国ではない」。女はドイツ語で話す。今の恋人と日本に来て、愛宕山に泊まっているらしい。
「アメリカへ行くの。日本は駄目だって、ウラヂオで聞いて来たのだから、あてにはしなくってよ」
「それがいい。ロシアの次はアメリカがよかろう。日本はまだそんなに進んでいないからなあ。日本はまだ普請中だ」
女がキスをしようとすると「ここは日本だ」。給仕はノックもせずに入ってくる。「「お食事がよろしゅうございます」
「ここは日本だ」と繰り返しながら渡辺はたって、女を食卓のある室へ案内した」。
日本は普請中だから仕方がないという鴎外の諦め。そしてそれから100年と少し経った今も、この国は「東京オリンピック」などと騒いで工事ばかりしている。私の大学も工事中、地下鉄や鉄道も工事が多い。日本は永遠に「普請中」なのだろうか。ここは日本だ。
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