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2018年3月21日 (水)

『聖なる鹿殺し』の不快さをめぐって

あえて観客に不快感や居心地の悪さを感じさせる映画を作る監督がいる。昔ならある時期からのアラン・レネとかアントニオーニとか、今ならラース・フォン・トリアーやクレール・ドニ、『ハッピー・エンド』公開中のミヒャエル・ハネケとか『ザ・スクエア』がもうすぐ公開されるリューベン・オストルンドとか。

ギリシャのヨルゴス・ランティモス監督もその1人で、『聖なる鹿殺し』を劇場で見た。この監督は、前作『ロブスター』の近未来SFのような不条理な設定がそれなりにおもしろかった。

冒頭に手術中の拍動する心臓がアップで写る。これがかなり続くので見ていて不快になる。手術が終わり、2人の医師が手術室から出てきて、最新の時計の話をする。そのうちの1人が今回も主演のコリン・ファレルで、外科医スティーブン役。ニコール・キッドマン演じる妻も医者。

娘と息子と豪邸に住んでいるが、スティーブンに付きまとう変な少年マーティンがいる。ワケありだなと思っていると、これが自分の手術で死んだ男の息子だとわかってくる。少年はだんだん大胆になり、自分の妻や子供のうち1人殺さないと、全員死ぬと脅す。

実際に、息子の足が突然動かなくなる。しばらくすると娘も。スティーブンはマーティンを殺そうとするが、果たせない。彼に残された選択は、3人のうち1人を殺すしかない。

話はまるでホラーのようで、いかにもそれらしい音楽が盛り上げる。最初と最後は意味ありげなクラシックの宗教曲。撮影は広角レンズや横移動やズームを繰り返して、「劇的」効果を高める。しかし私にはそのような効果を使えば使うほど、ありきたりに見えてきた。

ストーリーも『ロブスター』のような荒唐無稽ではなく、設定自体はありがちだし、途中からホラーに転じてゆくのも珍しくない。ハネケやオストルンドのように、そこから現代社会を見透かすような深部が覗くわけでもない。

私には、ひたすらスキャンダラスに不快感を高める映画をあえて機械的に作ることで、彼のような「奇才」を求める映画界に舌を出しているようにさえ思えた。当分はこの監督の映画は見たくない。ひょっとすると、時間がたって見たらおもしろいかもしれないが。

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