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2018年3月13日 (火)

弁士再現映画を見る

もうとっくに終わったが、フィルムセンターの「発掘された映画たち」についてもう一度だけ書く。最後に見たのは、復元された弁士説明版」。これは文部省芸術祭で1954年に始まった「映画の歴史を見る会」における弁士付き上映の音声を、今回フィルムセンター所蔵のサイレント映画に加えたもの。

つまり、1950年代や60年代の時点で既に昔を懐かしむ形で往年の弁士の語りを聞いたものを、それから半世紀たって再現したというもので、二重の回顧性がある。録音は6ミリテープというが、驚いたのは実に音質がいいこと。

弁士の語りの語りの味わいがきちんと伝わるばかりでなく、場内の観客の笑いや咳やひそひそ話までも聞こえる。まるで昭和30年代にタイムスリップした気分になる。生演奏の音楽も同時に録音されている。

4本が上映されたが、一番面白かったのは賀古残夢監督『子羊』(1923年、松竹キネマ、53分)。そもそも日本映画草創期のこの監督の映画は、ほとんど残っていないこともあって見たことがなかった。元祖スターの諸口十九と川田芳子のコンビも見るのは初めて。

話は、志村利彦(諸口)が学生時代に舞台女優の錦(英百合子)に憧れるが、相手にされず後年見返すというもの。絶望した志村は北海道に行って、石狩平野の牧場で純朴なお豊(川田)に出会う。しかしお豊の父の弱みを握る乙吉はその恋を邪魔し、志村を崖から突き落とす。

ところが崖の下で生き残った志村は、そこで金鉱を探し当てる。東京に戻って鉱山王になった志村は、北海道にお豊に会いに行くが、一家は離散していた。東京に戻ると、金持ちになった志村の動向を新聞で知った錦が、ぜひ会いたいと誘う。錦の豪邸に行った志村は、そこの女中になっているお富と再会する。そして追いすがる錦を投げつけて、お富を車に乗せる。

何と「新派」的なメロドラマかと思う。学生は失恋を機に苦労の後に出世し、素朴な田舎の娘と再会する。男を手玉に取る女優は退けられる。映画の最初と最後には聖書の引用もある。石狩で孤独な学生は尺八を吹く。

驚いたのは、呼びつけた錦の部屋の奥にベッドがあって布団が半分めくられていたことで、明確な性の表現だ。それから志村が錦を投げつけた時には、当時の観客の大きな笑い声が聞こえたこともおかしかった。当時からコミカルに捉えられていたことがわかる。

戦後も『野良犬』『宗方姉妹』『三等重役』などで活躍する名脇役の河村黎吉が、北海道のお豊の家の作男として出ていたのもびっくり。その時から「庶民」の顔をしている。出世した志村が北海道を再訪した時に、お豊の一家の結末を語る物腰がいい。

ほかにも『日露戦争記録』(04年、16分)、『旧劇 太功記十段目尼崎の段』(08年、17分)、『ジゴマ』(11年、8分)などどれも面白かった。録音した弁士の遺族の方々が紹介されたのもよかった。代表で挨拶した山野一郎のお孫さんの女性はたぶん私と同世代だが、家族の多くが映画関係の仕事をした、自分は違うが映画は大好きだと言っていた。上映後は(たぶん今は亡き弁士たちに対して)、大きな拍手が起こった。

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