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2018年3月24日 (土)

『グレイテスト・ショーマン』を見たわけ

新人監督マイケル・グレイシーの『グレイテスト・ショーマン』を劇場で見た。もちろん「『ラ・ラ・ランド』の音楽チームが贈る」という宣伝文句に惹かれたわけではない。それならむしろ見ないはず。

見に行ったのは、アメリカの19世紀後半に活躍した興行師、P.T.バーナムの話だと知ったから。そのうえ、小人や巨人などの奇形と呼ばれる人々を集めた見世物が見られるという。どうも私はこうした「見世物」が大好きだ。果たして、差別表現にうるさい現代においてどう表現するのか。

最初に少し驚いたのは、バーナムが自分のショーを見せるために作ったのが、Barnum's American Museum of Curiosity=「バーナムの驚異の博物館」だったこと。ここでも数日前に4月6日公開のトッド・ヘインズ監督『ワンダーストラック』について書いたが、Curiosity=驚異という言葉には深い意味がある。

『ワンダーストラック』の重要な舞台になるアメリカ自然史博物館は1869年に設立されたので、まさにバーナムが活躍していた時代である。バーナムは「博物館」と銘打ちながら、奇形の人々を集めた。映画ではこの場所は途中から「驚異」が「サーカス」に代わるが、依然として博物館だった。「博物館」の持つ猥雑さを示す例だろう。

この映画には、小人もひげ女も巨人も太った男も体がつながった兄弟も出てくる。しかしそこには、例えば1932年のトッド・ブラウニング監督『フリークス』のような、暗くてヤバい感じはない。そもそもそれぞれの奇形に観客が喜ぶのではなく、ひげ女の歌のうまさや黒人女性の空中ブランコのすばらしさに驚く。

そのうえ、『フリークス』に比べると、奇形の人々同士の恋愛もないし、彼らの存在に暗さはない。そもそも彼らそのものの奇形性はあまり目立たないように見せている。あくまで全員歌がうまく、ミュージカルとして楽しめる形だ。

だから映画は何より貧しい生まれのバーナム(ヒュー・ジャックマン)が金持ちの娘(ミシェル・ウィリアムズ)と結婚して、事業を成功させる話だし、そのパートナーとなるカーライル(ザック・エフロン)が黒人女性のアンと結ばれる恋愛仕立てである。

スウェーデンのオペラ歌手、ジェニー・リンドの米国公演のエピソードも期待していたが、彼女はオペラを歌わずに、普通のミュージカルを歌うのだからがっかり。そして彼女との恋愛も妻との関係の修復のネタに使われるだけ。

そんなわけで中身としてはがっかりだし、脚本もよくなかったが、それでも『ラ・ラ・ランド』のスタッフ陣は、とにかく最初から最後まで歌と踊りで押し切る技術を十分に持っているので、見終わって損したとは思わなかった。「爆音上映」のようなもので、映画における身体的な音楽効果は絶大である。


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