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2018年3月11日 (日)

『リバーズ・エッジ』に考える

もともと岩井俊二監督や行定勲監督の映画は、どこかしら私に合わない。漫画の岡崎京子も、2年ほど前の世田谷文学館の個展も見に行ったけれど、思い入れはない。そんな私が『リバーズ・エッジ』を見に行ったのは、友人から二階堂ふみのきれいな胸が見られると聞いたから。

というのは嘘で、それは私にはどうでもいい。先日のベルリンのパノラマ部門に出て国際批評家連盟賞を取ったというし、少し年下の友人もフェイスブックで褒めていたから気になっていた。

結論から言うと、それなりにおもしろかったが、やはり私には違和感があった。まず、20過ぎの俳優が高校生を演じるドラマは私は基本的に苦手だ。見ていてわざとらしさにいつもイライラする。

それは置いておくとして、この映画のポイントは川崎の工業地帯が見える河原敷きや近くの学校に起こるミステリアスな事件だろう。高校生なのに煙草も麻薬もセックスもありで、学校ではいじめ、家庭では暴力が起こるいたたまれない日々。

山田(吉沢亮)はゲイで、河原にあるミイラ化した死体を見に行くのを趣味にしている。下級生でモデルの吉川こずえ(SUMIRE)もその趣味に付き合う。田島カンナは山田が好きだが、相手にされない。若草ハルナ(二階堂ふみ)には観音崎(上杉柊平)という恋人がいるが、彼は小山ルミという大人びた同級生とも寝る。

そのネットリと停滞した感じに、後半はいくつもの殺人(むしろ未遂)が折り重なる。そして何もなかったかのように、日常が続くところで映画は終わる。ある種の強烈な厭世観が不思議な叙情と共に語られる。

ドラマとしては、若草、山田、吉川は「考える」役柄で、観音崎、田島、小山は何も考えないというように完全に二分されるのがすぐにわかるので、私は少し退屈になった。もちろん「考える」側に自分を置けばいいのだけれど。

「考える」人々は、現実に絶望しながらも、それを美しいものとして受け入れて生き延びている。その充足感が私にはピンと来ないのだと思う。たぶんそれは岩井、行定、岡崎といった「私より少し年下」の作り手に共通する世界観なのかもしれない。

岡崎京子の同名の原作は90年代に流行ったらしいが、この時代の私は仕事ばかりしていた。何だか勝手に世代論にしてしまったが、自分より数歳下の人々との違和感がこの映画で明瞭にわかった気がした。あるいは考え過ぎか。

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