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2018年4月 3日 (火)

『モリのいる場所』のとぼけ具合

5月19日公開の沖田修一監督『モリのいる場所』の試写を見た。見に行ったのはポスターなどをデザインしたOさんや制作のダブのUさんや日活のTさんから話を聞いていたこともあるが、一番は東京国立近代美術館で3月21日まで開催の熊谷守一展を見に行ったこと。

そこにこの映画のチラシがあって、この映画が実は熊谷守一を扱ったものだということを知った。かつて美術記者までやったのに、私はこの画家の名前さえよく知らなかった。ところがここに書いたようになかなか良かったし、直感で沖田修一監督のセンスと合うのではと思った。

その感じは当たり。熊谷の絵と同じく、映画全体がとぼけている。大笑いをしている家族の上に、ドリフターズのように大きな盥がいくつも落ちてきた時には、「まさにこれ」と思った。

よく考えたら、熊谷守一の絵は一度も出てこない。山崎努演じる「モリ」こと熊谷守一とその妻役の樹木希林を中心に、姪(池谷のぶえ)、カメラマン(加瀬亮)、旅館の主人(光石研)、近くのマンションオーナー(吹越満)などが繰り広げるドリフターズ並みの脱力感溢れるドラマ自体が、彼の絵のようであった。

ドラマと書いたが、実は何も起こらない。モリは日がな一日、大きな庭の虫や草を見つめている。そして妻や姪と食事をする(それも細部がおかしい)。絵を描くのは夜だが、絵が写らないどころか、描く姿もアトリエの中さえも一切見えない。熊谷がアトリエに入ることを妻は「学校に行く」と呼ぶ。

そこに訪ねてくるのは、ちょっとずれたカメラマンとそのアシスタント、画商、自分の旅館の看板を書いて欲しい信州の男、近くにマンションを建設するオーナーとその建設会社の現場監督、郵便配達の男などなど。いずれもトンチンカンな会話が続き、例えば旅館の主には宿屋名ではなく、「無一物」と書いてしまう。

よく考えたら、冒頭で一瞬だけ絵が出てきた。それを見ている昭和天皇(林与一)が「これは何歳の子供が描いたのですか」と言う場面だった。そんな人を食ったような映画だったが、それこそまさにこの画家のタッチだった。原作はなく、この画家に惚れ込んだ沖田監督がオリジナル脚本を書いたのがよくわかる。

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