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2018年4月 5日 (木)

『ペンタゴン・ペーパーズ』に泣く

予想はしていたが、スピルバーグの『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』を劇場で見て、泣いた。新聞社が危機にさらされるかもしれないスクープに社主のゴーサインが出て、輪転機が一斉に回り始めた時はたまらなかった。

私は20年近くも新聞社にいたが、大半は傍流の文化事業部だったので、もちろんスクープなどとは無縁だった。それでも大きなニュースがあった時の編集局の高揚は今でも目に浮かぶし、印刷や発送の現場の人々もいつも見ていた。だから映画を見ながら、かつての仲間たちがカッコ良く描かれているような気がした。

映画としてもなかなかよくできていたと思う。何より、1970年代前半のアメリカの雰囲気が漂ってくる。記者はタイプライターで記事を書き、植字工がそれを活字で組んでゆく。その鉛の文字が何度もくっきりと見えたのがよかった。輪転機も巨大だし、発送はすべて手作業。

トラックが走り出し、街の新聞販売店の前にドサリ、ドサリと新聞の束が落とされてゆく。あるいは刷り上がったばかりの新聞を手に取って喜ぶ記者。記者たちや経営陣もいい顔をしていて、それぞれが印象に残る。

もちろん中心はワシントン・ポストの社長を演じたメリル・ストリープと編集主幹のトム・ハンクスだが、たぶん彼らのような大スターでなければ、もっとリアルになったに違いない。メリル・ストリープは何を演じても彼女でしかないから。ただ、今回は元お嬢さん特有の天真爛漫さと不安さを併せ持つ中年女性を巧みに演じてはいた。

2度目に涙が出たのは、判決結果が電話でもたらされ、女性記者が「みんな聞いて」と判決文を大声で読み上げた時。「報道機関は国民に仕えるもにであり、政権や政治家に仕えるものではない。報道機関に対する政府の検閲は撤廃されており、それゆえ報道機関が政府を批判する権利は永久に存続するのである」

もちろん、今の日本ならば、「ペンタゴン・ペーパーズ」は朝日がスクープした「森友文書」だし、ニクソン大統領の報道機関批判は、安倍首相や麻生財務相を思い浮かべざるをえない。スピルバーグはそんな日本のことは知るはずはないが、彼にとってはトランプに違いない。

その意味ではメリル・ストリープやトム・ハンクスという大スターが出ているのは、多くの人々が見るきっかけになる。劇場には若いカップルもいた。本当の悪人はニクソンのみで、マクナマラ国防長官さえも善人に描かれていた。このシンプルな構造も、一般客にわかりやすいのでは。

個人的な新聞社の思い出と日本の現政権の想起が強すぎてあまり冷静には見られなかったが、最近のスピルバーグ映画としはかなりのできだったと思う。

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