西部邁氏の遺言
先月亡くなった西部邁氏の自死を助けた人々が逮捕されたニュースが流れたが、ちょうど彼の遺作『保守の真髄』を読んでいた。副題が「老酔狂で語る文明の紊乱」。冒頭に著者が手先が神経痛で自由に動かせず、娘が口述筆記をしたことが書かれている。
本の中身は、本当に老人の言いたい放題でかなり理解に苦しむが、よく読むとなかなか奥深い部分もある。しかしまず興味を引くのはなぜ自殺したかという部分で、これは本の最後の第四章「第十節 人工死に瀕するほかない状況で病院死と自裁死のいずれをとるか」に書かれている。
「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装なのであって、彼らの最後は病院に運ばれて治療や手術を受けつつ死んでいく」=「病院死」と書く。「そうでないとしたら、自分で自分を殺す、つまり自裁死しかない」。
「病院死を選びたくない」「おのれの生の最期を他人に命令されたり弄り回されたくない」。彼は病気の妻が亡くなるまで病院に8年間毎日通って看病したことに「一応の満足」をしている。「しかしそれは夫婦という関係にあってこその心理のやりとりではなかったか」「性行為を始めとする私生活におけるいくつもの秘密の共有ということに根差すのであろう」
「自分の娘に自分の死にゆく際の身体的な苦しみを、いわんや精神的な苦しみなどは、つまりすでにその顛末を母親において十分にみているのに、それに輪をかけてみせる、というようなことは、できるだけしたくない」「人間が生きるということはつねに絶えざる選択の過程である。そしてその最終局面において死に方の選択が待っている」
報道が本当ならば、彼は逮捕された2人に頼んで死体が流れないように安全帯をつけてロープにつないでもらい、川に沈んだのだろう。薬も飲んでいたようだ。2人は西部氏の熱心な弟子で、彼らも自分の先生を沈めるのは苦しかったろう。それにしても、西部氏の自死の気持ちはわからないでもない。
この本は、4つの章の各10節のそれぞれの表題を見ると、言いたいことが要約して書いてある。1つ前の「第四章 第九節」は「人生の最大限綱領は一人の良い女、一人の良い友、一冊の良い書物そして一個の良い思い出」。これはチェスタトンの言葉だが、彼は「難しい順から並べてみると、思い出、友人、女性そして書物の順になる」と書く。
いい思い出は誰にもある。そんなに難しいのだろうか。彼のように考え過ぎるから難しくなるのでは。いずれにしても西部氏の自死の形は、くっきりと跡を残したのは間違いない。
この本には、日本は核武装すべきとかいろいろ物騒なことも書かれてはいるが、私にはここで取り上げた自死を巡る部分が一番心に残った。
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