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2018年4月 2日 (月)

「プラド美術館展」を見る

ルーヴル展や大英博物館展ほどではないにしても、「プラド美術館展」も何度か日本に来ている。今回行こうと思ったのは、副題が「ベラスケスと絵画の栄光」だったから。ベラスケスは私にとって、まずは《ラス・メニーナス》(=女官たち)だった。

ベラスケス本人が絵を描いている場面で有名なこの絵は、真ん中あたりの鏡に絵を描かれている国王夫妻がぼんやり写っていたり、奥にドアがあったりと謎に満ちている。ミシェル・フーコーは『言葉と物』の冒頭にこの絵を持ってきて、その謎を解明していた。

大学時代にその部分を読んで狐につままれたような気分になったが、私にはそこに出てくる矮人=小人の存在が妙に気になった。宮廷には常に芸人がいて王族を楽しませていたというが、そこには背の低い矮人がいた。今回の展覧会でも矮人が2点あったが、ベラスケスの《バリューカスの少年》はあえて同じ目の高さから描いて、あえて小さいと感じさせない。

その作品を含めてベラスケスが7点来ている。日本で開催される1つの展覧会ではこれまでで最多らしく、「これは事件です」とチラシに書かれている。この中では私には《東方三博士の礼拝》が、その明暗のはっきりした表現で一番興味深かった。

全体としてはむしろベラスケス以外に驚いた。ティツィアーノの《音楽にくつろぐヴィーナス》は、16世紀で100年ほど早いが、太った女性の生々しい裸体はヴィーナスというよりも生身の愛人を描いたように見えた。ベッドにオルガンがくっついていて、オルガンを弾く男はベッドに腰かけている。背中にいる裸の女を気にしながら弾いているのが妙にリアル。

そのほかルーベンスやムリーリョやスルバランの宗教画も見ごたえがあった。フランス人ながらイタリアで活躍したクロード・ロランの風景画が1点混じっていたのにも驚く。考えてみたらみんな17世紀。

ちょっと驚いたのは、最初の章が「芸術」で次が「知識」と続いたこと。つまり画家や哲学者を描くことが、17世紀には流行りの一つだったのだ。「芸術」にはジョゼペ・デ・リベラの「触覚」という絵があり、「知識」にはヤン・ブリューゲル(父)ほかの「視覚と嗅覚」という絵があった。

後者は室内を描いているが、壁にびっしりと飾られた絵が見える。そして奥には戸が開いていて、外の風景が見えた。まるで《ラス・メニーナス》のような絵画の自己言及性や視覚のトリックが感じられてなかなかおもしろい。

そういえば、昔、プラド美術館に手紙を送ったことがあった。展覧会を日本でやらないかというものだったが、既に読売と交渉中だったからか(と後でわかった)、返事が来なかったのを思い出した。溝口健二国際シンポの交渉でビクトル・エリセ監督に会うためにマドリッドに行った時に交渉ができたらと考えていたが、できなかった。その代わり、その時に《ラス・メニーナス》はじっくりと見た。年をとると、何を見てもノスタルジアが始まる。


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