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2018年5月18日 (金)

大学は役にたつのか:その(1)

あくまで印象だが、私がいま勤める大学で、卒業せずに中退して行く学生は1割くらいいるような気がする。そんな学生も多くは同級生と連絡を保っていて、私も再会する機会がある。

こちらから見ると、出席しない、課題を出さないなどの理由で単位を落として大学から遠ざかる学生は、いわゆる落伍者だ。ところが数年ぶりに見るそれらの教え子の多くは、普通に卒業した者よりもむしろたくましい印象を与える。

30年以上前に私が出た大学の同窓会に数年前に出た。そこには入学後わずか2、3か月で退学した女性が来ていた。その後専門学校に行って会社に勤め、結婚して子供もいて幸せな生活のようだった。

私の勤務する大学で言えば、宮藤官九郎はほとんど単位を取らずに中退しているが、誰でも知っている脚本家、演出家、映画監督で俳優。もちろん中退したからといって、みんながクドカンになれるわけではない。ただ有名になれなくても、自分なりのある強い意志があれば、大学を中退してもどうにかなるのでは。

では大学の意義はどこにあるかと言えば、むしろ1人で世の中と勝負するのが怖い、普通の若者にさまざまなきっかけを与えることではないかと思っている。もちろん授業で学ぶことから自分の進むべき道を決める場合もあるが、多くは友人や教師を含めたさまざまな人々との出会いから将来の道筋を見出すのでは。

高校と違って大学は自由だ。取る授業も選べる。取った授業に出なくても、誰も何も言わない。もちろん授業の代わりに貴重な体験をすることだってあるだろう。毎日、毎時が選択の連続で、それを意識的、無意識的に繰り返しながら自分を作り上げ、4年間が過ぎる。

大学の同窓会の話に戻ると、30年以上たって会って現状を聞くと、みんな納得する。「いかにも〇〇君らしいね」となる。セコイ奴はセコイおやじになり、金が好きな奴は今も金の話をし、まじめな人はそのままの大人になっている。それはもう、職業を超えて、あらゆる面で学生の時と「おんなじ」。

私はその席で「前からエラそうだったけど、そのままだね」と言われた。

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