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2018年5月10日 (木)

5月の風に思う

今頃の季節になると、思い出す風景がある。1987年5月、トラックに乗って引っ越した時のことだ。高田馬場のオンボロアパートをカラにして、千葉県市川市行徳にあった大型マンションに引っ越した。その時のトラックの座席の窓を開けて感じた風が、何とも言えないほど爽快だった。

大学には7年もいた。1年は病気休学、1年は留学、1年は大学院。もともと文学部だから、まともに会社員になろうとは思っていなかった。最初は教職くらい取ろうかと思ったが、面倒になってやめた。フランス語を勉強する以外は、本を読み、映画を見て、演劇やコンサートに通った。バイトもしない高等遊民だった。

何となく大学のフランス語の先生になろうと思ってはいたが、フランス留学から帰り、大学院は映画の専攻を選んでしまった。これが相当にヤバいと気がついたのは、入ってから後に先輩たちを見てからのこと。

大学院では昼頃大学に行って授業を受け、夕方から塾で教えるか(さすがにバイトを始めた)、映画を見るかだった。毎日が不安で仕方がなかった。東京は家賃も物価も高く、練馬区関町の窓の小さい狭い部屋に住み、高田馬場に引っ越した。

そんな時にふとした偶然で政府系機関の求人を新聞で見つけた。3月の始めだったが、受けに行ったら合格して4月1日から働くことになった。働き始めたら、実にラクチンでそのうえ楽しかった。最初に給料をもらった時は「こんなことでお金をもらえるなんて」とまじめに驚いた。

そのうえ、その組織は当時あちこちにマンションを所有していて、職員に安く貸し出していた。私も申し込んだら、千葉県行徳の40平米の2DKを月1万円ほどで貸してくれた。1ヵ月ほど働いて、GWの終りに引っ越した。高校1年生から下宿を始めたが、隣の生活音がしない「マンション」に住むのは初めてだった。

すべてが自分の知らない世界に向かって進む。そんな感じのした「5月の風」だった。もう1つ書く。つきあっていた女性と別れたばかりだった。苦しい日々が突然終わった。郊外のマンションに住む幸せそうな人々を見て、これからは「普通の人々」になるのだ、と思った記憶がある。

行徳は近くに大きな川があり、水の匂いがした。駅前に巨大な西友があった。どれもこれも新鮮だった。5月の風を感じると、いつもその引っ越しを思い出す。

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