18年目のイタリア映画祭:その(3)
もうとっくに終わったが、もう1回だけ書く。今年のイタリア映画祭を見て思うのは、まずつらい内容の作品が多いこと。マフィア、郊外、移民、無職、暴力、同性愛、盲目などなど、グローバルでありながらイタリア的な問題が、どの作品にも重なっている。
『環状線の猫のように』や『フォルトゥナータ』のような娯楽作でもそういうテーマが出てくる。ジョナス・カルピニャーノ監督の『チャンブラにて』のようなシリアスは映画では、それが際立つ。主人公のピオはロマの14歳の少年で、カラブリア州の田舎に一族と住んでいる。彼が親しくするのはブルキナファソ出身のアイヴォで、アフリカの様々な難民たちの住むキャンプに行く。
つまりは、普通のイタリア人はほとんど出てこない。ほぼロマとアフリカ人ばかりの物語だ。まず驚いたのはピオの家族の話すイタリア語がほとんど聞き取れないこと。イタリア語の単語が混じるが、ひょっとするとクレオールのような折衷語かもしれない。アフリカ人は半分が英語だし。
カタログの解説によると、イタリアには15~17万人のロマがいて、うち7万人が定住権を持つ。この映画のピオはいわゆるジプシーのようなテント暮らしではなく、一応家がある。しかし仕事はなく、父と兄が逮捕されたピオは、駅で出発間際の列車からスーツケースを盗み、パソコンを取り出す。
パソコンを売るのはアイヴォが紹介するアフリカ人たち。彼らの要望でテレビも仕入れて、サッカーを見られるとアフリカ人たちはピオを絶賛する。ピオは駐車した車からも盗む。祖父が亡くなった機会に父と兄が釈放されて、兄はアイヴォがアフリカに送る電気製品を集めた倉庫を盗むために、ピオを使う。ピオは泣きながら応じる。
登場人物は全員素人で実名で出ている。だからクレジットでピオのアマートという姓が10人以上出てくる。カメラも手持ちでドキュメンタリーのような映像。一族の顔や雰囲気がとにかくリアル。
娯楽作『メイド・イン・イタリー』は歌手のルチアーノ・リガブエの監督作品で、イタリアでは本当にメジャーな存在らしい。主人公のリコを演じるのはかつての若手スター、ステファノ・アッコルシ。リコはエミリア・ロマーニャの田舎のハム工場で働くが、浮気もするし、妻とも仲が悪い。
こちらは「普通のイタリア人」を描く。田舎には希望も未来もない。妻が親友と浮気していたことまでわかる。それでも思いなおして妻と結婚式をして、イタリア中を新婚旅行に回る。ところがハム工場はクビになる。最後はフランクフルトのイタリア料理店で働くリコの姿。
話が冗長で、リガブエの曲が随所に聞こえるミュージックビデオのようだが、それでも海外に活路を見出したい、普通のイタリア人の閉塞感は十分に伝わる。
たぶん日本以上に問題だらけのイタリアなのに、みんなそれをきちんと見つめて映画を作っているのはやはりすごい。
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