18年目のイタリア映画祭:その(2)
レオナルド・ディ・コスタンツァ監督の長編劇映画2作目『侵入する女』も、劇場公開が難しそうな地味な秀作だった。ナポリの郊外で放課後の小学生を預かる施設を舞台に、犯罪組織カモッラが見え隠れする。
その施設の運営者ジョヴァンナは、同じ敷地に貧しい人用の東屋を持っている。ある時やってきた母娘を住まわせていると、その父親がやってくる。彼は無実の男性を殺したカモッラの一員で、その場で逮捕される。
ジョヴァンナは母娘を住まわせ続けるが、小学生の父兄は犯罪者の妻子が出入りする施設は危険だと言い始める。小学校や警察もそれを支持し、ジョヴァンナは孤立する。
日本だと、元オウム幹部の子供を学校から追い出そうとするようなものだろう。つまり悪を排除するあまりに、関係者すべてを社会生活から追い出すもう1つの暴力というか。
日本でも実に微妙な問題だし、カモッラの怖さが日本人にはよくわからない。それでも人間の奥に潜む悪意は、ドキュメンタリータッチの画面からひしひしと伝わってくる。
ファビオ・モッロ監督の『イタリアの父』も長編劇映画2作目で、孤独な男女の旅を描く。ゲイのマリオは孤児院育ちで恋人と別れたばかり。彼は妊娠した女ミアと出会い、生まれてくる赤ちゃんの父親を探す旅に成り行きで同行する。トリノからローマ、そしてナポリからレッジョ・カラブリアへ。
なぜマリオが関係のない女性の世話をしようとするのかは最後までわからないが、妊婦に付き添うことに使命を感じ、初めて積極的に生きようとする姿にウソはない。世の中からは無視されるような2人を主人公に据えて凝視した誠実な力作だと思うが、これも公開は難しそう。
リッカルド・ミラーニ監督の『環状線の猫のように』は、ベテラン監督の娯楽作。シンクタンクで働くエリートのジョヴァンニは、娘のアニェーゼがローマ郊外のバストージに住む恋人ができたことから、移民の多いその地区に通いだす。
ジョヴァンニを演じるアントニオ・アルバネーゼの文化人的な気取りと、娘の恋人の母役のパオラ・コルテッレージの下品だが活力あふれる行動がぶつかり、コメディのなかに社会格差の実態が見え隠れする。
わざとらしいギャグが気になるが、俳優陣とくに悲喜劇を巧みに演じるアルバネーゼがすばらしかった。彼の元妻役のソニア・ベルガマスコは『輝ける青春』で過激派になる妻を演じていたが、今回は能天気なフランスかぶれの役がぴったりだった。
長年イタリア映画を見ていると、俳優たちが自分の親戚のような気がする。
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