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2018年6月 3日 (日)

『孤狼の血』の生々しさ

白石和彌監督の『孤狼の血』を劇場で見た。見終わって無意識のうちに北野武の映画と比較していた。現代でこういうヤクザものをきちんと撮る監督は少ないから。

思ったのは、この映画に比べたら、北野武はずいぶんスタイリッシュだということ。ある意味で抽象的と言ってもいいかもしれない。それくらい、『孤狼の血』はエログロで生臭く、不潔と不穏に満ちている。

冒頭、東映の「波がざっぱーん」マークに豚の鳴き声が重なる。養豚場で1人の男が数人に殴られている。何度も殴った後に、何と豚の糞を口に入れられる。いきなりのグロテスクで見ていてげっそりするが、映画は最後までこの調子で進む。

舞台は昭和63年。すべてが「昭和」だ。黒電話やブラウン管のテレビがあり、事件を伝える新聞記事が写り、ひと昔前風のナレーションが流れる。広島の近くの街で2つのヤクザが抗争中だが、その捜査をする大上刑事(役所広司)とその新人助手・日岡(松岡桃李)のドラマが中心だ。

大上の捜査は何でもありで、殺された男の妻と関係を持ったり、火事を仕掛けたり、窃盗をしたり。まさに「警察じゃけぇ、何をしてもええんじゃ」の言葉通り。

最初は日岡は大上を冷ややかに見て、県警の上司に告げ口したりするが、だんだん大上の考えていることがわかってくる。後半に大上の隠された真実を知った日岡が立ち上がるあたりが抜群にいい。まあ、ベテランと新人の組み合わせは刑事ものの常道だが。

夏のせいか、どの人物も汗だらけで、カッコ悪い。役所や石橋蓮司のようなベテランもひどい結末だ。ヤクザの出入りするバーのマダムを演じる真木よう子さえも、あまり美しく撮っていない。残酷なシーンも多い。それをドキュメンタリータッチの長回しで、じっくり見せる。だんだん画面の勢いに飲み込まれてゆく。まるで昔のヤクザ映画を見ているように。

白石和彌監督が東映で初めて撮った作品だが、これから新たなジャンルものになるのではないか。そんな大いなる希望さえ感じた。続編の製作も発表されたようで楽しみ。


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