『在日二世の記憶』をめぐって
集英社新書『在日一世の記憶』に続いて『在日二世の記憶』を読んだ。新書ながらこちらも800ページ近い大著で、50人の「在日二世」へのインタビューが載せられている。2016年刊なので、だいぶ近い。編者も小熊英二と姜尚中から、小熊英二に高賛侑と高秀美へ。
二世といっても、1932年生まれから67年生まれまでいるから、親子くらい違う。一言で言うと若い世代の方が在日の重みが減って、自由な感じ。
二世には有名人も多い。一番有名なのは張本勲だろう。私の世代ならば、1960年代から80年代前半にかけて、東映から日本ハム、そして巨人やロッテで活躍した打率王は、みんな知っている。
彼の両親は「日本の植民地時代に何から何まで全部取られてしまい、もう食えないということから1939年に日本にきました」。彼は広島で生まれるが、父親は一時帰国中に死んでしまい、「母は途方にくれたと思います」。
4歳の時大やけどで右手が不自由になり、5歳の時に原爆で姉を亡くす。母はホルモン焼き屋をしながら3人の子供を育てる。「わたしは寝ている姿を見たことがありませんでした」「韓国人としての誇りを持ったのは間違いなくお袋の影響ですね」
「一八でプロ野球に入ったときは、お袋は五八です。親孝行をする時間が短かった。それを唯一後悔しているんですよ。プロ野球で稼げるようになってから仕送りをしてもお袋は一銭も使わないんです」「川崎球場でわたしが3000本安打を打ったときもグラウンドでチョゴリ姿で写真に写っています」
東映フライヤーズに入団する時の契約金は200万円で、母は「お前、これは何か悪いことをして手に入れたんじゃないか」。10万円だけ取って兄に渡し、家を建ててもらった。「今までがトタン屋根の住み家でしたから、御殿のように思えたものです」
東映の外国人枠は2名で埋まっていたが、大川博オーナーはプロ野球連盟の規則を変えて、日本で生まれた者は日本人とみなすとした。「私が二十三年間プロ野球選手として頑張れたのは、まずトタン屋根六畳一間で家族のために苦労している母親に楽をさせてやりたいという、その思いが出発点でした」
彼は「小学生の時から野球一筋でしたから」「民団・総連というのもわからない」と言う。この『二世の記憶』はスポーツ選手のほか、芸術家、芸能人、弁護士、医者などが多く、官僚や大企業幹部はいない。つまり「履歴書がいらない職業」で、二世たちは成功を目指したのだろう。
この本には、李鳳宇さんや梁英姫さんのような面識のある映画関係者もいるので、後日もう一度取り上げたい。
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