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2018年6月 2日 (土)

今年も学会に行った

今年も映像関連の学会の大会に2日間通った。大学の教員は、普通複数の学会に所属している。そこでは年に一度どこかの大学で「大会」があり、基調講演やシンポジウムがあるほか、さまざまなセッションに分かれて何十人もの発表がある。

発表するのは、博士論文を執筆中の学生が一番多い。自分の研究を全国から集まる専門家たちの前で話し、質問を受けることが一番の目的だが、実際には「学会発表」という実績を積むことが、今後専任教員のポストを得るための公募において、ポイントの1つとなるからだ。

私のように50代後半の教員にとっては、まず若手の最先端の研究を知る絶好のチャンスになる。しかしながら実際は教え子や知り合いの発表は義理でも聞かなくてはならないし、あるセッションの座長(司会)を頼まれることもある。そのうえ、聞きたい発表の時間が重なることも多い。

私の属する学会の場合、発表は25分、質疑応答は5分。休憩は10分取ってあるから、質疑がその時間まで食い込むこともある。それから教室を移動して、別の発表を聞く。

あれやこれやで半分欲求不満になりながら、土曜の午後と日曜日をまるまる過ごした。日頃は授業で自分1人でしゃべって疲れるが、聞くだけなのも楽ではない。難しすぎたり、レベルが低すぎたり、なかなか適度に刺激をもらえる発表には出会えない。

総体として、今年は去年に比べて私にとっておもしろい発表は少なかったと思う。去年は第一線の研究者による「作家主義」や『市民ケーン』をめぐる研究発表がかなり刺激的だった。

今年はサミュエル・ベケット出演の珍品『フィルム』とヒッチコック『裏窓』の比較がおもしろかった。そのほか記憶に残ったのは、トーキー移行期のSP版映画説明レコード『二人静』、大正から昭和初期の玩具映画、英国の40年代スピヴ映画『ブライトン・ロック』あたりか。

こう書くと、浮世離れした専門家のように思えるが、多くは話してみると、普通の映画好きだったりする。質問をきっかけに、何人かの若い人々と知り合いになれたのも良かった。それにしても、私は「学会」というものに、まだ馴染めない。

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