『在日一世の記憶』の衝撃
いわゆる「在日」についてはいつか本人たちの言葉を読みたいと思っていたら、小熊英二・姜尚中編の『在日一世の記憶』があった。2008年刊の新書だが本当に分厚く、800ページ近い。普通の新書の4倍くらいか。
そこには52人の「在日一世」へのインタビューがまとめられている。中には1940年代にまさに「拉致」に近い形で日本で働かされた者もいれば、父を追って日本に来た者もいる。戦後十年以上サハリンに抑留された者もいれば、戦後日本に来てキリスト教を広めた者もいる。
あるいは広島や長崎で原爆にあった者もいれば、ハンセン病で長年監禁されていた者もいる。日本人女性と結婚した「在日」は多いが、日本人ながら「在日」の男性と結婚して在日社会で生きた女性の話もある。とどのつまり、日本政府を憎んでいる者もいれば、自分の人生に満足している者もいる。
「在日」でなくても「人生それぞれ」は当たり前だが、やはり「在日」という特殊な環境が作り出したドラマは大きい。52人全員の話がそれぞれ映画になりそうな「濃さ」を持つが、このブログでは中でも際立った数人を取り上げたい。
成周八(ソン・ジュパル)は1917年韓国生まれ。土方や鉄道の仕事をしていたが、賃金は日本人の3分の1だった。結婚して長男が生まれた後の1942年、ソウルで東大門警察署に呼び出される。「大阪に鉄道の仕事がある。二、三か月だから応援に行ってほしいというのです。二、三か月なら、日本は行ったことがないし、大阪もひと目みたいと思ったのです」
妻子を置いて釜山で船に乗って下関へ着く。列車に乗ると窓は閉められており、青森に着いた時に行き先は北海道と告げられる。北海道で鉄道の仕事かと思ったら、炭鉱だった。「雪なんて見たことがないし、寒いからびっくりして、地獄だと思いました」。話が違うと言うと、翌日巡査に柔道で投げられた。
88人が監視付きのタコ部屋に入れられて、朝6時に起こされて夜8時まで働かされた。名前ではなく番号で呼ばれ、風呂は数日に一回で15分。賃金はなし。
そこを逃げ出して、大阪から広島に着いた3日目に原爆が落ちた。「戦争が終わって、韓国に帰りたいと思ったけれど、帰国する船がひっくり返る事件もよくあったし、お金がないから帰れませんでした。父親に連絡したことがあったけれど、その時は朝鮮戦争で「今は危ないから来るな」、妻子も行方不明になったと聞きました。
90歳になって、北海道に行って、協力者の助けを得てかつて働かされた炭鉱跡を探し出す。そして64年ぶりに韓国に行くと、5人の親族が迎えてくれた。甥の家に行くと15人もの親族がいた。
帰りの飛行機でつぶやく。「64年前に、わたしをだまして日本に連れ出したのは誰だ。64年間帰ることなく、日本で暮らさなければならなかったのはなぜだ。誰の責任だ。どうしてわたしはこの飛行機で名古屋に戻るのだ」
とりあえず、1人の話を要約したが、あと何人か紹介したい。「強制連行」は確実にあったし、まだ過去の話ではない。
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