『在日二世の記憶』をめぐって:続き
在日2世のへインタヴューを集めたこの本には、映画関係者が何人かいる。有名なのはプロデューサーの李鳳宇(リ・ボンウ、1960年生まれ)さんだろう。『誰も知らない』『パッチギ!』『フラガール』で3年連続で『キネマ旬報』のベストワンを取ったプロデューサーである。
ところがその後映画ファンドに手を染めて、映画会社「シネカノン」は倒産した。しかし最近はまた「レスペ」などの映画会社で活躍しているようだ。
彼の言葉には「苦悩」はあまり感じない。朝鮮大学校からパリのソルボンヌ大学に留学して、帰国後映画関係の仕事を始める。パリでアルジェリアの友人ができて「そいつの話を聞いたら、われわれよりももっと複雑なんですね。僕たち在日朝鮮人はかわいそうで複雑なんだという思いで彼らとはなしていたら、いや全然」
映画の仕事を始めたらまわりから「朝鮮人ていわない方がいいと。李くんね、日本の名前あるんだろ。悪いこと言わないから、その名前にしなさい。そんな名刺出したら皆もうびびっちゃって仕事できないよ」と言われる。「本名を名乗ったのはうちの父がそういう人だったからです」
「僕にとっての祖国とは、一世の背中のことなんです。どこかに帰属して生きて行こうとは考えていないし、日本で死ぬまで生活するつもりもないです」。これがこの人の軽さというか、自由さの基本だろう。
傑作『かぞくのくに』を撮った梁英姫(ヤン・ヨンヒ、64年生まれ)にとっての「在日」はもっと重い。1971年、7歳の時、3人の兄が帰国事業で北朝鮮へ行く。父が朝鮮総連の幹部だから断れなかった。長兄はクラシック音楽が好きでオープンリールのデッキと数十枚のレコードを持って行って、「自己批判」を強要されて鬱病になる。
3男が治療のために一時帰国したいきさつは、『かぞくのくに』で描かれた通り。彼女がその前に作った2本のドキュメンタリー『ディア・ピョンヤン』も『愛しきソナ』もすべて自分の家族の話だし、最近の『朝鮮大学校物語』という自伝的小説はここで触れた通り。
彼女はそれらの活動で、総連から北朝鮮への入国拒否が言い渡された。長兄は亡くなったが、墓参りにも行けない。「まだまだ語りたい話がやまほどあるんです。いいたいのにいえない、そんな時期が四十年以上も続いたから」
ほかにも『夜を賭けて』を監督した劇団「新宿梁山泊」の金守珍(キム・スジン)や、最近公開された『焼肉ドラゴン』を監督した劇作家・脚本家の鄭義信(チョン・ウィシン)など、私の世代の映画関係者は多い。ここに出ていない若い世代もいる。この世界は官庁や大企業と違って「在日だから」という差別が少ないからだろう。
ほかにもこの世代には作曲家や指揮者、マジシャンなど多いが、今日はここまで。
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