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2018年7月 5日 (木)

日本統治下の韓国映画:その(2)『迷夢』と『漁火』

最近急に「在日」の本を読んだり、日本統治下の韓国映画を見るようになったのには、理由がある。毎年12月に学生が企画する映画祭のテーマが「朝鮮半島と私たち」に決まったから。去年の「天皇」以上に難しいテーマで、学生と競争しながらの「にわか勉強」が始まった。

そのうえ、あるきっかけで今年から私の指導を受けることになった博士課程の韓国からの留学生に統治下の韓国映画のDVDを何本も貸してもらった。まず見たのは、『迷夢』Sweet Dream(1936)で現存する韓国最古のトーキー作品という。監督は梁株南(ヤン・ジュナム)で、主演は「韓国のリリアン・ギッシュ」と呼ばれた文藝峰(ムン・イェボン)。

朝鮮映画京城撮影所の製作で48分しか残っていないが、まるで溝口健二の映画のように、自由を求める女性の凄まじい流転を描く新派劇だった。結婚して娘もいる妻は、夫が止めるのも聞かずに服を買いにデパートに行く。そこで髭を生やして髪をオールバックになでつけた伊達男と出会って酒を飲む。

家に帰ると夫は怒って、離縁を言い渡す。娘は母の不在を悲しむ。女は伊達男とホテル暮らしをするが、実はその男の実家は洗濯屋で金はないことを見破る。女はモダンダンスの舞台を見て夢中になり、そのダンサーを追いかける。

ダンサーの劇団が京城を去るのを追いかけて、女はタクシーを駅に飛ばして一緒に列車に乗ろうとする。駅に間にあわず、さらにタクシーで猛スピードで追いかける。その車に轢かれたのは実の娘だった。娘が運ばれた病院で、女は服毒自殺を図る。ラストのベッドで泣く女のアップがすごい。髪は乱れ、涙が溢れる。薬を飲んで娘を抱きしめる。

この作品はスタッフ、キャストすべて韓国人で、言葉もすべて韓国語だが日本語字幕が焼き込んである。デパートやホテル、モダンダンスなど、ちょうど同時期の日本の大正から昭和初期のモダニズムを思わせる。冒頭に写る籠の中の小鳥がすべてを語っている。文藝峰演じる女性が破滅的で共感を与えないのも新派的だ。

安哲永(アン・チョリン)監督の『漁火』(38)もまた、都会の悲しい女の物語。極光映画製作所の第一回作品で、監修に島津保次郎、編集に吉村公三郎、音楽は堀内敬三で松竹大船管弦楽団、録音は土橋式トーキーと、松竹が全面的にバックアップしている。

漁師の娘、仁順は恋人がいたが、父が亡くなって借金を背負って金貸しの息子と共に京城に行く。結局仁順はその男の女になるが、知り合いの玉粉から助け出される。仁順は玉粉に「経済的に独立しないとダメ」と言われるが、結局は妓生となって、ある日客として金貸しの息子と再会する。

仁順は毒薬を飲んで自殺するが、かつての恋人が駆けつけて一命を取りとめる。最後は漁村の祭のシーンだが、実は冒頭にもこのシーンがあって、効果的だ。

こちらも現存は50分だが、都会を彷徨う女の苦悩は十分に伝わってくる。『迷夢』の方が無謀さを突き進む分、よりリアルでおもしろいが、『漁火』は、松竹がポスプロに加わったせいかショットが細かく映像が変化に富む。共に中国で見つかったプリントだが、完全版を見たい。どちらもすべて韓国語だが、日本の影響は陰に陽に見える。

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