入院中の読書:その(2)『国体論 菊と星条旗』
本当はポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアについてもう一度書く予定だったが、また引用ばかりになりそうなので、別の本のことを書く。白井聡の『国体論 菊と星条旗』は、既にあちこちで論じられているベストセラーだが、ようやく読んだ。
300ページを超すこの新書の要点はただ一つ。「菊は星条旗に変わった」ということ。菊はもちろん天皇制、星条旗はアメリカを指す。つまり戦前の「国体」は戦後「フルモデルチェンジ」を経て「アメリカの日本」として蘇ったという論理だ。
「占領が公式には終了した後にも、ポツダム宣言受諾を通じて成立した主権の構造は継続された。占領期における「アメリカの日本」という構造は、占領期を超えて無限大に維持されることになった。それは日本の側が自発的に主権を放棄することによってである。
かかる代償によってわれわれは何を得たのか。それこそが、「国体は維持された」という擬制にほかならない」
「東西対立の激化がもたらした占領政策の転換、すなわち「逆コース」の流れのなかで、戦前戦中の保守支配層(とりわけファッショ化を推進した人々)は、かつて自ら主導して国民に「鬼畜」呼ばわりさせていた相手=アメリカに取り入ることで復権の機会を掴んだわけだが、「対米協力=反共主義=国体の発動」という三位一体は、こうした変節を正当化するための論理を与え、主権の自発的放棄を促す」
つまり、天皇が疑似的に守られたことで、日本人はアメリカの命令を新たな国体としてすべて受け入れることになった、という論理だ。そして沖縄についてはこう述べる。
「沖縄が日本から一旦除かれ、米軍が完全に自由に使用することのできる「基地の島」と化すことが、戦後日本が平和主義を新たなナショナル・アイデンティティとして謳いながら、同時にアメリカの軍事的利害にかなう存在であることが可能となるための条件であった。つまり、天皇制の存続と平和憲法と沖縄の犠牲化は三位一体を成しており、その三位一体につけられた名前が日米安保条約(=戦後の国体の基礎)にほかならない」
また、引用が長くなったが、もう一つ。「日本は独立国でなく、そうありたいという意志さえ持っておらず、かつそのような現状を否定している」。またまた、暗澹たる気分になる。
この本の冒頭にはいわゆる「天皇のお言葉」に触れている。2016年8月の退位宣言のことだが、筆者はこれが戦後の擬制としての国体を揺さぶると位置付けている。ここの解釈は私にはよくわからなかったが、現天皇が安倍政権の暴走に何らかの歯止めをかけているのは事実だろう。
この本で大事なことはここに書いたが、流し読みでもいいので、一読の価値はある。
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