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2018年8月16日 (木)

入院中の読書:その(1)フェルナンド・ペソア

旅行でも何でもどこかに泊りがけで行く時は、本を5、6冊は持ってゆく。だけどいろいろやっているうちに(多くは飲んだり食べたり)時間が無くなって、1、2冊しか読まない。ところが今回の入院は違った。持って行った本をぜんぶ読んだ。

持参したのは、白井聡『国体論 菊と星条旗』(読みかけ)、フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』、須賀敦子『地図のない旅』、村田沙耶香『消滅世界』、ヘミングウェイ『移動祝祭日』、今村太平『戦争と映画』(1942)、沢村勉『現代映画論』(1941)。

何とも脈絡がない。終わりの2冊は論文のためだが、これらを6日間の入院のうちにすべて読んでしまった。一番の衝撃は何といっても初めて読んだペソアだったので、今日はこれについて少し書きたい。

20世紀前半に活躍したポルトガルの詩人、作家のフェルナンド・ペソア(1888-1935)については、これまで何度も名前を聞いてきた。マノエル・デ・オリヴェイラを始めとするポルトガルの映画で何度か言及されてきたし、ヴィム・ヴェンダースの映画『リスボン物語』にもあった。あるいはイタリアの作家、アントニオ・タブッキの本にも出てきた。

しかし、一度も読んだことがなかった。大学でフランス文学を専攻していた頃、ボードレールやマラルメを翻訳で読んで、頓挫した記憶があった。外国の詩を和訳で読んでも仕方がないと思った。

ペソアの詩集をなぜ買ったかと言えば、自宅近所の驚異的な品揃えの書店「かもめブックス」に置いてあったから。あの本屋に置いてあると、すべてがいい感じに見える。翻訳が、一度お会いしたことのある仏文学者の澤田直氏というのも気になった。

その中身はその期待を裏切らなかった。詩というよりも、まさに「断章」だが、書いてある内容が、言葉の綾などを超えて、直接的に心をわしづかみにする、といったらいいのだろうか。まず全体の1/5くらいの『断章』があり、残りが『不穏の書』。まずは『断章』から。

「眠りと夢のあいだに
私と私のうちで自分だと思っているもののあいだに
果てしない河が流れている」

「私の魂は隠れたオーケストラだ。私の中で演奏され鳴り響いているのがどんな楽器なのか知らない。弦楽器、ハープ、ティンパニー、太鼓。私は自分のことを交響曲としてのみ知っている」

どこでもいいのだが、一節を読むだけで、人生の本質がグイと迫ってくる。この本を引用していたら、このブログが10回分くらい書けそうだが、とりあえずあと1回は書きたい。

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