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2018年9月28日 (金)

『顔たち、ところどころ』の終盤に涙する

アニエス・ヴァルダ監督の『顔たち、ところどころ』を劇場で見た。最近の彼女の映画は、家族が出てきて夫の思い出を語るような映像が多くて見る気がしなくなっていたが、今回は写真家のJRと共同監督という。「朝日」で、秦早穂子さんが終盤でゴダールに会いに行くと書いたのを読んで、急に見たくなった。

見始めて、レイモン・ドゥパルドンの映画を思い出した。フランスの田舎町を車で旅して、住民と話すのは全く同じ。ドゥパルドンの2016年のLes habitants(住民たち)では、自分の運転するバンに2人ずつ乗せて、カメラの前で話させる。実はこの日本未公開の映画は2016年4月にパリの試写で見たが、その時にアニエス・ヴァルダがいた。

ちょうどヴァルダはこの映画を撮っていた頃だから、見に来たのかも。ドゥパルドンは妻のクロディーヌ・ヌガレと旅するが、ヴァルダはJR(ジェイ・アールではなく、仏語でジー・エル)の運転する車で移動する。そしてJRの得意とする写真をとって拡大して壁に貼るイベントを、各地で行う。

北部のさびれた炭鉱住宅に暮らす女性や元炭鉱作業員たち、パリ郊外で大きな農場を一人で経営する男、ル・アーヴル港で働く労働者とその妻たち、南仏の田舎でパンや肉も届ける郵便配達人などなど。どちらかというと現代フランスからは忘れ去られたような人たちが、壁に大きくなった自分の姿を見て自信を取り戻す。

ヴァルダとJRはそれを見て大喜び。ヴァルダは1950年代に自分が撮ったある男性の写真を、海岸の要塞跡に張り付ける。しかしそれは波によって一晩でなくなった。

大きな写真を見て喜ぶ人々を見ると、こちらも嬉しくなる。33歳のJRと87歳のヴァルダのコミカルな動きも楽しい。そんな軽快さが沈むのは終盤。いつも黒いサングラスのJRを見てゴダールを思い出したヴァルダは、スイスのロールに住むゴダールをJRを会わせようとする。

ゴダールは約束のカフェに現れず、自宅に行ってみると、ヴァルダ宛のメッセージが窓に書かれていた。その時初めてヴァルダはまじめな顔をして「こんなやり方嫌いよ」と言って、だんだん涙顔になってゆく。

秦さんも書かれていたが、確かにヌーヴェル・ヴァーグで生きているのはこの2人だけ。トリュフォーに始まって、ドゥミ、ロメール、リヴェット、シャブロル、レネとみんないなくなった。ヴァルダの全身にその悲しさが出ていて、胸を締め付けられた。

ところで公開3日目の休日午後に見たが、ガラガラ。『顔たち、ところどころ』という邦題は原題Visages, villagesをなるべく忠実に訳したと思うが、もっと「おフランス」な題名がよかったのでは。銀座、渋谷、新宿の都心だけで3館もの上映は、たぶん買い付け価格から出たものだろうが、この洒落た小品はひっそりと1館の上映がふさわしいかも。

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