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2018年9月 2日 (日)

最古参になってしまったベネチア映画祭:その(3)

75回目という記念の年のせいではないだろうが、今年のベネチアはなぜかコンペに歴史ものが多い。アルフォンソ・キュアロンの「ローマ」がそうだったが、もう1本のネットフリック製作、コーエン兄弟監督The Ballad of Buster Scruggs「バスター・スクラッグスの冒険」は、西部劇へのオマージュ映画だった。

全体が6つに分かれて、各20分ほどのテレビ番組のように、一話完結の西部の話が展開する。おしゃべりで歌を歌い、相手をたちどころに殺す流れ者があっけなく死んでしまう第一話に始まって、一人で金鉱を探し当てる中年男の話、幌馬車の移動中の悲しい恋の物語など、どれも時間を忘れるほどおもしろい。

映画愛溢れる内容をユーモアとセンスの良さで軽やかに見せる演出には脱帽した。確かに話がブツブツに切れるので、映画館より配信に向いているかも。

同じく配信系では、アマゾンが製作に加わったマイク・リーのPeterloo「ピーターロー」とルカ・グァダニーノのSusperia「サスペリア」があった。「ピーターロー」は19世紀前半のマンチェスターを舞台に、民主化を求める民衆とその弾圧を描いたもの。

当時の建物や服装だけでなく、民衆の顔つきや動作や話しぶりまで、まるで匂いが伝わってくるくらい再現している。特に女性たちが自由を求める集会をするあたりは感動的だった。そして最後の30分は、馬に乗って銃を持った警察隊によって何千人という人々が虐殺されるさまを克明に描く。

自由を求める人々の顔がどれもいい。そしてその重厚な演出には息を飲んだ。ただ154分もあるので前半の演説の部分が長すぎるかもしない。

「サスペリア」も152分と長い。ドイツの全寮制バレー学校にアメリカ人のスージーがやってくるという設定は1977年のオリジナル版と同じだが、それ以外はほぼ違う。当時のドイツのテロリストによる「バーダー・マインホフ事件」が背景にあり、学生の一人はそれに加わっていなくなったということになっている。

さらにナチスドイツ時代に恋人を収容所でなくした老人も出てくる。ずいぶん政治性や歴史性を帯びているが、その思わせぶりは演出にもまんべんなく見られる。私はこの監督が苦手なのでずいぶん退屈したが。

考えてみたらネットフリックスの「ローマ」が135分、「バスター・スクラッグスの冒険」が133分で、アマゾンの2本は150分台。そのうえどれも歴史もの。ハリウッドメジャーは経済原理が徹底しているから、長すぎる作品は好まない。配信は配給会社や映画館の都合は関係ないし、むしろ同じ予算なら長い方が対顧客的にはいいのかもしれない。

新興の配信会社は、有名な監督が作ってくれるのだから最初から「ディレクターズ・カット」を作らせているのではないか。新聞記者たちとそんな話になった。


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