フランスをさまよう:その(1)
毎年、ベネチアの帰りにパリに寄る。かつてはパリに着くと、昼間は日本未公開の映画を見たり、シネマテークの図書館で調べものをしたりして、夜は友人と食事をした。
2年前にパリで半年過ごしてからは、パリですることがなくなった。その時、会いたい友人には何度も会ったし、図書館での調べものも、気になっていたものはだいたい終えた。有名なレストランに行く趣味はもう10年ほど前になくなって、2年前は13区の自宅近くで地元の人の通う店を端から行った。
有名レストランに一番行ったのは、1992年の夏。職場の3カ月の語学研修という名目でパリにいた。語学学校に登録していたが、実際はロカルノやベネチアやサン・セバスチャンの映画祭に行き、エジンバラ演劇祭(と映画祭)や現代美術の祭典「カッセル・ドクメンタ」に行った。
パリにいる時は、「トゥール・ダルジャン」や「ランブロワジー」といった高級レストランに行った。その翌年、その職場を辞めた後の1カ月の休暇ではパリに母親を連れて行き、最近亡くなったジョエル・ロブションの伝説の店「ジャマン」にも行った。やはりバブルの勢いが、私のなかにもあったのだろう。
それから、95年の映画百年や96年のルノワール映画祭、97年のポンピドー展をやったあたりまえは、三ツ星でなくても、それなりの店に行った。それが2年前にはほとんど興味がなくなっていた。
そういえば、かつてはよくパリで服やバッグを買ったが、最近はそれもなくなった。日本で何でも手に入るし、パリから持って帰るのも面倒になった。2年前にパリにいた時も、服はすべて日本から持っていって、ほとんど何も買わなかった。買ったのは、パリの無印にあったタオルくらい。
では何をするのか。ひたすら、さまよう。昨年はドイツのカッセルに行き、今年はリヨンに行った。リヨンは去年公開された映画『リュミエール!』の字幕監修をしたので、久しぶりに行ってみたくなった。もちろん、リヨンはリュミエール兄弟の街である。
そこにはリュミエール研究所があり、その博物館がある。1995年の映画百年の時に行って以来だが、展示がずいぶん洗練されていた。「工場の出口」の門もかなりカッコよくなり、その奥に上映施設もできていた。当時お世話になったジャン=マルク君が学芸員になったと聞いていたので、急に受付で聞いてみたら、出てきてくれた。
かつて学生ボランティアのような形で映画百年プロジェクトを手伝っていた彼は、何と白髪の中年になっていた。彼が展示室にふっと現れた時は誰かわからなかったが、話し出すと昔の表情に戻った。当時の話をしながら、急に涙が出そうになった。
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