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2018年9月 3日 (月)

最古参になってしまったベネチア映画祭:その(4)

かつてベネチアの日本人といえば、柴田駿さんと川喜多和子さんだった、という話をしても、若い新聞記者は誰のことか知らない。もちろん80年代から90年代のミニシアターブームを引っ張ったフランス映画社のお二人だが、彼らのことを考えたのは、今年のベネチアは75回目でその歴史をたどる大きな写真展が開かれているから。

すばらしいのはまずその会場が「オテル・デ・バン」であること。このホテルはヴィスコンティの『ベニスに死す』が撮影されたことでも有名だが、90年代には私も泊まったことがある。もう1つの豪華ホテル「エクセルシオール」に比べると、会場から少し離れて実に優雅な感じ。

ところが2000年代の半ばに経営難で閉鎖されてしまった。その後は高層化して高級分譲マンションになるとのニュースも流れたが、結局手つかずのまま。ところが今回はここの1階部分をほぼ全部使って、1500枚を超す写真を展示している。

展覧会場部分は、かなり手を入れて改装しているので、昔の栄華が蘇った感じ。2001年に朝日の石飛記者とベルトルッチ監督にインタビューをしたカフェも、展覧会場になっている。展覧会に並んでいるのは、金獅子賞を取った写真のスチールが中心だが、上映会場などに監督や俳優などがいるスナップ写真やポスターなどが興味深い。

日本関係だと『山椒大夫』の時の白袴姿の溝口健二監督がいる。エクセルシオール・ホテルのビーチで田中絹代や三益愛子と写った写真は日本でも見たが、このホテルに水上タクシーで乗り付ける3人と川喜多長政氏の写真は日本にはない。

川喜多氏といえば、彼とかしこ夫人と三船敏郎が『用心棒』の上映会場に座っている写真もあった。これも日本にはない。おかしいのはすぐ後ろに画家のダリが写りこんでいること。かしこ夫人は1985年のカンヌの東和のパーティーでお会いした。娘の和子さんとはその時に話した。

調べると、この母娘が亡くなったのが93年だから、92年は和子さんの最後のベネチアだった。『秋菊の物語』を金獅子賞を取る前に買い付けて、得意満面だった。夫の柴田さんとはその後もベネチアで何度か会った。イタリア映画祭を始める時のアドバイスもいただいた。

今年は上映前の映像も75年にふさわしいものに変わった。イングリッド・バーグマンやモニカ・ヴィッティに交じって三船敏郎や北野武やトニー・レオンの姿が出てくるので、思わずじんと来た。

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