休日に授業をする大学
今日は休日だが、多くの大学は授業。文部科学省の「指導」により、大学は必ず前期15回、後期15回の授業をするようになった。これを守らないと私学は助成金がもらえないらしい。助成金はかつては平均で大学予算の30%近くあったが、今や10%を切る。それでも欲しいのだろう。
大学を指導するのは高等教育局だが、最近はその局長も含めて文科省幹部数名が汚職で処分を受けて退職している。銀座で業者の接待を受けていた奴らに「指導」されたくないとは思うが、しかたがない。
世間では「働き方改革」が流行りで、多くの職場で労働時間を減らす運動が起きているが、30回授業は教員や職員及び警備や清掃など外注の方々にとっては全く逆の動きになる。それより、そもそも、連休の月曜日に大学で授業をして、学生のためになるのかどうか。
大学は高校と違って自ら学ぶところ。理想は、授業に刺激を受けて、自分で考えて調査し、研究し、制作する形だ。先生からだけでなく、同級生や先輩からもヒントを得るだろう。それらの自主活動には、自由な時間が必要だ。授業を増やせば学力が高まると思うのは、単純過ぎ。
要は学生次第なので、詰め込みはよくない。教員の側も授業以外に論文や本を書くのも仕事。新聞や雑誌に書くのも、重要な社会活動のはず。もちろんマスコミ活動ばかり熱心な教員は困るが、逆に10年以上論文どころか何の文章も書かない教員もいる。これまた教員次第。
講談社の『本』というPR誌に脚本家・演出家の平田オリザさんが「22世紀を見る君たちへ」という連載をしている。今月号を読んで驚いた。
「現在、全私学の4割が何らかの形で「定員割れ」を起しており、経営を圧迫している」「現状でも80近い法人が破綻の可能性がある」「このような危機的状況にあって、多くの大学は、まず場当たり的に生徒の囲い込みに走った。2000年代以降、AO入試や推薦入試を活用して、いわゆる「無試験入学」が増加してゆく」「現状では、この「無試験入学」の対象が、すでに全大学生の5割を超えているといわれる」
本当の問題は、授業の回数ではなく、こちらにある。「まず試験の回数が飛躍的に増えて、ほとんど喜劇のようになっている」。関西の私大で教える友人からは、夏休みは毎週末がオープンキャンパスと入試で潰れると聞く。教職員の時間は、授業以外でも確実に奪われている。
大学を増やし過ぎたのは小泉内閣以降の「規制緩和」だが、それにしても文科省の責任は大きい。国立大学の独立行政法人化もそうだが、1991年の「大学設置基準の大綱化」以降の改革は、すべて間違いだったのはないか。今回の汚職を契機に文科省をいったん解体して、すべてを1990年の時点に戻したらどうかと思う。
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