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2018年10月22日 (月)

『情報生産者になる』に刺激を受ける

たまたま本屋で手に取った上野千鶴子の新書『情報生産者になる』を読んだ。そもそも「情報生産者」とは何かも考えずに買ったが、これがいわゆる「大学の論文の書き方・上級編」で、私には実に刺激の多い本だった。

著者によれば、「わたしの大学での授業の目的は、いつも「情報生産者になる」ことでした」「わたしは学生につねに、情報の消費者になるより、提供者になることを要求してきました。とりわけ、情報ディレッタントになるより、どんなにつたないものでもよい、他の誰のものでもないオリジナルな情報生産者になることを求めました」

「何よりも、情報生産者になることは、情報提供者になることよりも、何倍も楽しいし、やりがいも手応えもあります。いちど味わったらやみつきになる……それが研究という極道です」「わたしは研究者を、アーチスト(芸術家)よりはアルチザン(職人)だと考えています」

ここまではよくわかる。どうやって情報生産者になるかは、この著者の場合は専門が社会学なので、私のような文学系、芸術系とはだいぶ違う。それでも最初は同じで「問いを立てる」から始める。かつそれは「答えの出る問いを立てる」「手に負える問いを立てる」「データアクセスのある対象を選ぶ」

確かに、大きすぎるテーマは失敗する。昔、「映画におけるドラキュラ」というテーマを卒論で選んだ学生がいた。ところがドラキュラ映画は世界に何千本とあるから、答えがでないし、手に負えない。また日本に来ていない作品もDVDになってない作品も多いので、データにアクセスできない。

これを「日本におけるドラキュラの受容について」とやると、研究には向いている。さらに「大林宣彦監督におけるドラキュラの受容について」とすれば、さらにそれらしくなる。

ちょっと驚いたのは論文の長さで、東大社会学科は卒論が8万字、修論が16万字、学位論文が24万字という。私の大学の卒論は4万字。原稿用紙の100枚で、ほかの大学に聞くとその半分のところも多い。

もう一つ。「私は学会誌の覆面査読がとってもキライでした。一方的に査定を下すのではなく、査読者が堂々と顔を見せて、執筆者と対話すればいい、と思ってきましたので、その信念を貫いて今日まで学会誌の査読は原則お断りしてきました」

私は現在某学会の学会誌の査読を担当している。もちろん覆面査読。そうでないと、恨まれそうで怖い。だけどこの本を読んで、確かに批判を書く時も褒める時も覆面はおかしいとも思った。そんなこんなで、いろいろ学ぶことの多い本だった。

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