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2018年11月28日 (水)

『近代日本の150年』に考える

山本義隆著の新書『近代日本の150年―科学技術総力戦体制の破綻』を読んだ。今年の1月に出た本でその時に買っていたが、いかにも内容が重そうで本棚に積んだままだった。筆者の山本氏は元東大全共闘議長である。

その当時は東大物理学科の博士課程にいたが、その後大学を拒否して予備校に勤め、在野の科学史家として何冊も本を書いている。その彼が明治150年に際して日本の科学の進歩を糾弾する本だろうから、なかなか読む気になれなかった。

ところがこれが読みやすい。極めて具体的な事実や引用を交えながらも、筋の通ったわかりやすい通史になっている。個人的に驚いた点はいくつかある。一つは、明治の日本があまりの短期間に科学技術を世界水準に持っていったこと。その技術がそのまま戦争に向かう。

そしてさらに驚いたのは、第二次世界大戦後、科学者は誰も戦時中の責任を取らなかったこと。むしろ「科学の時代」と言われて我が世の春となったこと。そして彼らの多くは50年代以降次々に起きた公害において政府側に立ったこと、原発についても同じで推進したこと。

本のオビに「黒船から原発まで」と書かれている。つまりペリーの黒船の技術に驚いて科学技術を振興してそれが戦争を起こし、戦後も科学者は反省することなく福島原発事故に至ったという話。

日本の大学についても、いくつかの知らないことがあった。1871年に設立された工学寮(後の工部大学校)は、1877年に東京開成学校と東京医学校が合併してできた東京大学より早い。つまり明治の日本では工学があらゆる学問に先んじていた。工部大学校が東京大学に編入されるのは1885年。

「京都帝大の誕生は、日清戦争での賠償金によるものであり、九州帝大と東北帝大は、古河鉱業の寄付によって生まれた。古河市兵衛は、足尾鉱毒問題での世間の非難を緩和するために寄付をしたと伝えられる。帝国大学はまさに帝国の発展とともに生まれたのである」

「大阪帝大と名古屋帝大は、それぞれ理工と医の学部だけで1931年と39年に創立し、39年には九州帝大に理学部が新設されている。そして大学理学部に相当する自然科学系高等機関の数は、1940年から45年の間で二倍に増加した」

現在、科学研究費を差配するのは「学振」と呼ばれる日本学術振興会だが、この成立は1931年、「国難の打開策」として生まれている。科学研究費も1938年に作られた。「こうして科学新興と技術開発の一元的指導が、戦争遂行を目的として進められた」

旧帝大を中心とする日本の科学の進歩は、実はすべて戦争のためのものであった。その制度が今も生きている。この本については、もう一度書きたい。明治150年の今の必読書。

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