映画で歴史を学ぶ
大学で映画を教えて10年目になる。映画史や映画理論や映画ビジネスを教えているが、最近気にしているのは「映画を通して歴史を教える」こと。昔は映画から映画以外の何かを学ぶのは邪道のような気がしていた。今は、ちょっとしたセリフの一つに歴史を感じる。
例えば、戦後すぐの映画に「アプレ」という言葉がよく出てくる。例えば溝口健二の『祇園囃子』(1953)で木暮美千代は自分の弟子になったばかりの若尾文子の言動に「あんた、アプレねえ」という。すると若尾は「お姉さんこそアバンゲールよ」と言い返す。
これが今の学生にはチンプンカンプンだ。もちろんこれはフランス語から来ており、「アプレゲール」(略して「アプレ」)=Apres guerreは「戦後」の意味。これが戦後現れた無軌道な若者を指すようになった。「アバンゲール」はAvant guerreで「戦前」を指す。
たぶん「アプレゲール」あるいは「アプレ」は、当時の一般の人々には馴染みの言葉だったのではないか。少なくとも芸者が発するくらい、普通の言葉だった。たぶん最初は仏文学者が言い出したのが、いつの間にか広がったのだろうか。戦後は、サルトルやカミュなどのフランス文学が大きな力を持っていた。そんな話をした。
先日成瀬巳喜男の傑作サイレント『君と別れて』(1933)を学生と見たら、「やっぱり、みずてんのせがれはだらしない」というセリフがあった。高校生役の磯野秋雄が不良仲間から離脱しようとした時に言われる言葉だ。「みずてん」が学生にはわからない。「不見転」と漢字で書いてもわからない。
もちろんこれは「不見転芸者」、つまり、見ずに転ぶ芸者、相手を見ずに金さえもらえば誰とでも寝る芸者を指す。秋野の母役の吉川満子は中年の芸者だったが、年齢のせいもあって客がつかなくなっていた。「みずてんのせがれ」と言われた息子は、ちょうど「マザーファッカー」と言われたように怒り出し、喧嘩が始まる。
つまりは大変な差別の言葉。ところで、この映画の最後に秋野が好きだった母の若い同僚の芸者を演じる水久保澄子が、品川駅から列車に乗って去ってゆく。彼女は自分の妹まで芸者になるのを阻止するために、好きな秋野と別れるわけだが、「さて彼女はどこに行くのか?」
学生に聞いても、みんなきょとんとしている。もちろん正確な答えはないが、私は「たぶん大陸です。満州かもしれないし、「からゆきさん」としてシンガポールなどに売られてゆくのかもしれない」と言う。東京で芸者をするよりさらに稼ぐのに、神戸や長崎に行くはずがない。そして「からゆきさん」を説明する。
そういえば、浦山桐郎監督の『キューポラのある町』(62)を上映した後に、「北朝鮮帰国事業」について説明した。すると驚いた学生が多く、それがきっかけとなって、この12月に3年生が企画する映画祭「朝鮮半島と私たち」に結実した。私もびっくりしている。
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