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2018年11月26日 (月)

母のお見舞い:その(3)

先月に九州の母のお見舞いに行った時は、脳梗塞の後で左半身が自由に動かなかった。だからベッドから立つことはできなかったが、普通に話せたし、自分で食事もできた。

ところがまた脳梗塞を起こしたようで、先日行ったら、手足がぐったりしてほとんど動かせない。話すことも目を開けることもできなかった。手を握って「ふとしが東京から来たよ」というと「うー」とうなる。「ここまで遠かったよ」と言うと目に涙を浮かべた。

私はティッシュでその涙をぬぐって、話し続ける。するとだんだん表情が豊かになって、わらったり、頬が赤くなったり。私の指で右の瞼を開けてみると、瞳がぎょろりとこちらを見て笑った。すると左の瞼もいつの間にか開いている。目はしっかりと私を見ていた。

家族全員の写真を見せ、子供たちや親戚や祖母などとにかく母が関心を持ちそうな話を続けた。一緒にパリやベネチアに行った話にも大きく頷く。手を強く握ったら「痛い」という表情をするので、謝ると笑う。その笑顔が祖母にそっくりと言うと、また笑う。

千葉に住む姉も来ていた。実家を継いだもう1人の姉と3人で会うのは本当に久しぶり。いつの間にか、母を忘れて3人で話し込む。私たちが大声で笑っていると、母はいつの間にか顔を少しだけこちらに動かしている。またみんな母の方に向かう。

集中治療室のため、13時から20分と言われていたが、結局45分もいた。東京から来たとわかったのか、看護師さんたちも何も言わなかった。ここまで来るのに、東京の自宅からドア・ツー・ドアで5時間近くかかったが(福岡空港からが遠い)、何とも貴重なありがたい45分だった。

母の顔を見て話しかけながら、自分のこれまでを考えた。高校生から下宿を始めたこともあって、母と過ごした時間はあまりに少ない。今までそれを考えたことはなかったが、急に後悔を覚えた。これはもう取り返しがつかない。母はそのことをどう思っていたのだろうか。病院から出ると、すべては違って見えた。

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