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2018年11月16日 (金)

「アジアにめざめたら」展に考える

私の自宅から一番近い美術館は、たぶん竹橋の東京国立近代美術館だ。ドア・ツー・ドア、つまり家の玄関を出て東近美の入口まで15分くらいか。だから、原稿が行き詰った時や、期末試験の採点で疲れた時にふっと出かける。

混んでいないのもいい。かつては展覧会によっては混雑していたが、今は大動員の展覧会が新美(国立新美術館)に移行したので、東近美は学芸員が真剣に取り組んだような丁寧な展覧会が多い。今、新美でやっている東山魁夷展は、昔は東近美でやっていた。

今回見たのは、12月24日まで開催の「アジアにめざめたら」展。「アートが変わる、世界が変わる 1960-1990年代」という副題で、20世紀後半のアジア各国の美術をテーマごとにパラレルに並べている。

いわゆる「現代美術」の勃興と発展を見せているが、おもしろいのは国別ではなくテーマで横切りにしている点。大きく「「美術」を問い直す」「芸術家と「都市」」「新しい「連帯」を求めて」に分かれており、国も時代も取っ払って並べてある。

例えば展覧会の入口で、シンガポールのラジェンドラ・グールの映像作品《眼》(1967)が、松本俊夫の《つぶれかかった右眼のために》(1968)と交互に見せられる。あるいは韓国のイ・スンテクの《川に浮かぶ燃えているキャンバス》(1980年代)の次に、荒川修作の1960年代の抽象絵画が並ぶ。

そうした中から出てくるのは、欧米の模倣をしながら反発し、各地のローカルな文脈に沿って新しい美術を作ろうという強烈な意志の軌跡だ。美術という権威を覆し、キャンバスを否定する。大都市自体を美術の場として、都会の通りでハプニングを起こす。政治的抑圧に反発し、美術の中に政治的主張を色濃く盛り込む。

世界的に見ても、東アジアは20世紀後半で急激に近代化し、欧米の先進国と同じような現代社会へと突如生まれ変わった稀有な例ではないだろうか。だからその矛盾と苦悩がどの国の美術にも現れていて、見ているとその涙ぐましい努力を愛おしくさえ感じてしまう。

展覧会のプレスリリースを見たら、以下のように書かれていた。

「東京国立近代美術館、韓国国立現代美術館、ナショナル・ギャラリー・シンガポールと国際交流基金アジアセンターによる、アジアの戦後美術を再考する5年に及ぶ国際共同プロジェクトの集大成です。日本で開幕し、その後 2019年にかけて、韓国とシンガポールに巡回します」

たぶん日本の国際交流基金の主導によるものだが、こういう同時代的な視線による地道な共同作業がアジアとの和解と連帯につながってゆくと思う。

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