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2018年12月19日 (水)

母のお見舞い:その(5)

毎週のように福岡の実家に通って田舎の道を歩きながら思い出すのは、当時の商店街ばかりではない。一番は小学生や中学生のエピソードで、最近は東京に戻ってもある時ふっと蘇る。私は実は「いじめっ子」だった。

一番覚えているのは、小学2年生の頃に西山君を数人で川に突き落としたこと。理由は忘れたが、たぶん「西山君は威張っている」というものだと思う。彼の家は司法書士事務所を構えていばっていて、息子もなんとなく感じが悪かった。「それは懲らしめんといかんね」と言って、下校時に数名で彼を襲った。

もちろん西山君は母親に言いつけ、母親はその日のうちに学校に苦情を言った。翌朝すっかり忘れて学校に行った私は、授業の前に教壇に呼び出された。首謀者は私だったが、先生に「一緒にいじめたもんも出てこんね」と言われて、数人が前に出た。

ほかにも、いじめばかりやっていた。塚本君は体臭が強く、私たちは替え歌を作ってそれをからかっていた。ところが3年生の終わり頃に塚本君は死んでしまった。国道沿いの自宅でゴミを捨てに出たところで、車が追突してきた。私は葬式の間中、いじめたことを後悔していた。

自分たちがあんまりいじめたから、塚本君は車が来た時避けなかったのではないかと思った。もちろん替え歌を作ったのは私。今でも歌えるが、ここにはとても書けない。

同級生には知恵遅れの川島君がいた。幼児期の病気をきっかけにそうなったが、ご両親もお兄さんも極めて聡明な方だった。川島君は家が近かったせいもあって、仲が良かった。一番の親友の江口君と一緒によく遊んだ。不思議と川島君をいじめたことはなかったと思う。

なぜか覚えているのは小学5年生の時、隣の市に住む前原という女の先生の家に3人で遊びに行ったこと。日曜日の昼前に行くと、先生は3人を松屋デパートに連れてゆき、食堂でかつ丼をご馳走してくれた。ここのかつ丼はカツもソースも西洋風で、およそ田舎のかつ丼とは違っていた。

川島君が「おいしかあ、もう1杯食ぶごたる」(食べたい)と言うと、先生はニコニコして注文しようとした。私はなぜか川島君をにらんで「だめばい、これは先生のおごりやけん」と言った。川島君は不満そうに「もうよか」と取り下げた。彼はそのことを後まで覚えていた。

その川島君も10年ほど前に亡くなった。列車に飛び込んだという話だった。彼の墓参りにはまだ行っていない。

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