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2018年12月18日 (火)

学生の映画祭も8年目:その(4)

映画祭「朝鮮半島と私たち」は無事終わり、入場者数はこれまでで最多の2622人を記録した。これまでの最高が2年前の「宗教映画祭」の2112人だから、一挙に500人を超したことになる。その理由はわからないが、1つは在日コリアンの方があるベースを作ってくれたと思う。

毎回、会場で韓国語で話している人がいたし、上映中にも在日の方と思われる反応があった。彼らが集結したのが呉徳洙(ウ・ドクス)監督『戦後在日五十年史[在日]』(1997)で、2回目は平日なのに満員になった。

今回の映画祭で、短編も含めて18本の映画を上映したが、在日を扱ったものが半分はあった。しかし、その戦後の歴史をアメリカで入手した映像も含めて丹念に追うこの映画は別格。そのパンフを今になって読みながらあらためて考える。

このドキュメンタリーの冒頭には、チェホフの『三人姉妹』のセリフが掲げられている。

「やがて時がくれば
どうしてこんな事があるのか
何んのために
こんな苦しみがあるのか
みんな分かるような気がするわ」

在日の歴史はまさに、この「何んのためにこんな苦しみがあるのか」という言葉通り。もともと、日本に仕事があると言われてやってきたら、大阪の工場のはずが北海道の炭鉱だったり、とんでもない話だった。終戦後に朝鮮に帰ろうとすると、持ち帰る財産は制限され、祖国は政情不安と言われて居残った。

1948年になると、日本の朝鮮人学校に閉鎖命令が出され、関西では大きな闘争に発展した。その年、済州島で民衆が蜂起し、政府に弾圧されてその時日本に逃げて来た人も多い。そして、米国とソ連の都合で南北が分裂してしまった。さらに1950年には朝鮮戦争が始まる。

1952年にサンフランシスコ講和条約が発効する直前に、在日朝鮮人は日本国籍を喪失し、外国人登録法に管理される。59年には「地上の楽園」北朝鮮への帰国事業が始まる。そして61年には軍事クーデターで朴正煕政権が成立し、65年には日韓基本条約が結ばれる。しかしそれは問題が多く、在日は反対運動を起こす。

20世紀になってから、日本に来た朝鮮人、韓国人は何度も何度も地獄を見たのではないか。たぶんこの屈辱に近いのは沖縄の人々だろう。明治政府に併合され、太平洋戦争では日本の防波堤になり、戦後には基地がどんどん増えた。

たぶん「在日」の問題は年と共に薄れていくだろう。パンフには在日が日本人と結婚する割合が今は8割を超えていると書かれている。それでも、こんな映画があれば、その歴史と記憶は確実に残る。

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