« 年末に『家へ帰ろう』 | トップページ | 断る年に »

2018年12月31日 (月)

ゴールはどこ?

少し前の「日経」の朝刊文化面に沢木耕太郎氏が書いていた「ゴールはどこ?」という文章が気になった。彼が公園で散歩していると、老女から「ゴールはどこですか」と話しかけられたという。「なんのゴールですか?」と聞いても、「ゴールには……どう行けばいいのですか」と言うのみ。

結局その老女は認知症で息子と歩いているうちに、はぐれたようだった。息子が見つかって、沢木氏は歩きながら「「ゴールは……どこですか」という不安げな口調には、こちらの胸を突き刺すようなものがあった」

沢木氏のエッセーはいつもうまい。どれもいかにもありそうだが、実はある程度創作が加わっているかもしれない。今回の老女の発言は、そもそもが作り話のような気もする。

確かに昔は、どこかにゴールのようなものがあったかも。イメージで言えば、映画『ALWAYS 3丁目の夕日』のような、昭和の時代の高度成長期に差し掛かった感じというか。だがそれは万事が下り坂の「平成」から想像する「昭和」の幻想かも。実際その頃にそんな上り坂の雰囲気があったのかどうか。

私の経験だと、1970年の万博頃までの日本は、公害とか学生運動とか集団就職とか団地っ子とかヤクザ映画とかそんなもので、今よりずっと絶望的で少しも「ゴール」は見えなかった気がする。最近は「昭和」という甘い幻想を見るのが流行っているのではないか。

そういう時代背景は置いて沢木氏の文章に戻ると、老女がゴールを探すかどうか。いつの時代でもあまりない気がする。確かに小さい頃はみんな何かゴールを考えるかもしれない。有名になるとか、金持ちになるとか、いろいろあるだろう。

しかし今は高校生くらいからはだいぶ現実的になる。それでも少しは夢を見る。大学生になると、仕事を見つけて、結婚して子供を作り、家を買って仲良く暮らすくらいで十分と思う。今のように正社員になることがかつてよりずっと難しくなると、家庭を作る以前に、まず給料が普通にもらえることで満足になるのではないか。

そうして私のように60歳近くになれば、何が「ゴール」だったかもわからなくなる。私でさえも「ゴールはどこですか」とは誰にも聞かないだろう。そんなものはないと知っているから。

私は2回転職したが、ゴールを探したのではなく、「よりまし」と思える仕事を選んだだけ。「ゴールはどこ?」というのは、やはり物語の世界だろう。

さて今日で年が明けて、来年は平成が終わる。日本も私の年齢も下り坂なので、ゴール探しではなくゆっくりと「後始末」をしようと思っている。

|

« 年末に『家へ帰ろう』 | トップページ | 断る年に »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ゴールはどこ?:

« 年末に『家へ帰ろう』 | トップページ | 断る年に »