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2018年12月17日 (月)

母のお見舞い:その(4)

母の見舞いに毎週末のように福岡の実家に帰る。私の家は県南の鹿児島本線の小さな駅から徒歩3、4分のところにあるが、小さい頃駅から自宅までにあったいくつもの店がみんななくなっていた。

まず、駅前の通りの交差点を右に曲がると、右手に木下化粧品店、左手にラーメン屋の陳来軒があった。まっすぐ歩くと、左側に文具店、旅館の二川屋、黒田理髪店、和菓子のあずま屋、駄菓子屋のかどやがあり、右手には大きな丸通(日本通運系列の地元の運送会社)があった。かどやの四つ角をまっすぐ行くと、左に石橋ムシロ屋があり、その先に私の家があった。

駅前の交差点を左に行くと、右に菓子屋の黒田屋、松藤魚屋、古賀食料品店(大きなよろず屋で通称「こがみせ」)、少し離れてウシジマ洋品店。左は福岡銀行の支店、古賀商店、少し離れて熊川食料品店があった。

今あるのは、石橋ムシロ屋とウシジマのみ。ウシジマは地元の学校の制服を扱っているので生き延びているらしい。石橋は今は老人介護も手がけていると聞いた。

ほかはすべて空き地か民家になった。丸通の跡地はブルドーザーが工事しているが、市立の公園になると聞いた。店がなくなったのは、近くの国道沿いに大きなスーパーができたから。みんなそこに車で買いに行く。あるいはコンビニもある。

古賀商店は私の父が経営していた工場だったが、これは現・日本医師会会長の横倉義武氏が経営する大きな老人介護施設になっている。母は病院に移る前に3年ほどこの施設にいたが、自分も働いていた工場の跡地に寝起きするのはどんな気持ちだっただろうか。

自宅に帰るたびに、駅から実家まで歩く。そしてそこにあった店を思い出す。あずま屋では、小学生の時、毎日「回転饅頭」(東京で言う今川焼)を食べた。最初は6円で、だんだん上って10円になった。そこでは夏にはかき氷もよく食べた。かどやでは、よく1円とか2円の駄菓子を買った。

私の頭の中では、それらの店がまだ生きている。そこで菓子を売ったり、ラーメンを作ったり、髪を切ってくれたおじさん、おばさんの顔も鮮明に覚えている。だから、今でもその道を歩くだけで嬉しくなる。


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