美人の話
年をとってわかるようになったこともあれば、永遠に謎のこともある。私にとって益々わからなくなってきたのが、「美人」というもの。ある女性を見たり、その写真を見てよく「美人ですね」と人は言う。私は「えっ、どこが?」と聞き返すことが多い。
一般的には、目がぱっちりしていて鼻筋が通って口は小さめで全体のバランスが取れていれば、「美人」となる。たぶん大事なのは「全体のバランス」で、それが少しくずれるとタダの人になってしまう。
何となく、「美人」には3通りあるような気がする。1つは多くの人が「美人」と認める顔で、スターに多い。AKBはよく知らないが、その出身という前田敦子は美人なのだろうと思う。映画スターだと、必ずしも大女優が美人とは限らない。田中絹代や杉村春子はどうかと考えると、ちょっと疑問も出てくる。原節子だって、今見ると、どこか違う。
もう1つは「いい顔」というもので、これは人によって違う。ある表情やしぐさや雰囲気が「かわいい」「かっこいい」「すてき」と思うことはよくある。これはいわゆる美人でなくても多くの人が備えている。実は、私は授業で女子学生を見ても思うことがある。
3つ目は「好き」に関わること。これは顔だけではなく、「足がきれい」とか「スタイルがいい」とか体全体が重要な人もいるだろう。さらに性格とか服装とか生活態度とか知性とか、場合によっては経済力もあるかもしれない。要するにトータルに「人間として好き」ということで、これが一番個人差が多い。
私の場合の美人は、最近では2番目になった。だからずいぶん守備範囲が広くなった。こうなると、世の中は美人だらけで困る。
そんなことを考えたら、井上章一著『美人論』を読みたくなった。1991年に出た本で、井上氏はこれで一挙に有名になった。新聞社時代の同僚だった赤岩なほみさんが、フリーの編集者時代に書かせた本だということは、後に知った。
あちこちの本棚を探し回った。机の前の一番上の棚にようやく見つけると、机に乗って本を手に取った。そこから降りようと椅子に足をかけた瞬間、椅子がくるりと回り、私は床に転げ落ちた。
「ううう」とうなって、しばらく立てなかった。腰と左手を強く打った。特に五十肩の左腕が痛い。60近くなって、「美人」とはなどと考えた罰であった。
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