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2018年12月13日 (木)

めまいのする『今夜はひとりぼっちかい?』

高橋源一郎という小説家は、かつては『さよなら、ギャングたち』や『優雅で感傷的な日本野球』が大好きだったが、最近はエッセーしか読んでいない。今回読んだ『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』は、内容がごった煮的で小説かエッセーかもわからないが、ある種めまいのするような感覚があった。

まず、「プロローグ」の「全身小説家」に凍りつく。これは原一男監督のドキュメンタリー『全身小説家』(1994)を、大学のゼミで学生に見せている、という設定。大学院生は、6人中4人がオオエケンザブローの名前は知っていたが、タケダタイジュンも、ノマヒロシも、シマオトシオも、ハニヤユタカも知らない。

「「文学なんてもうありませんよ」
誰かにいきなりそう宣告される夢を見て、うなされ、夜中に飛び起きる。
でも本当にそうなのかも」
「理由は簡単。
その人たちは、「文学」なんか、きれいさっぱり必要としていないのである」
「いまでも「文学」を必要としているのは、(おそらく)六十代以上の人たちだけだ。そして、彼らは、ほどなく、いなくなるのだ」

ゼミで『全身小説家』を取り上げたのは、主演の小説家、井上光晴を「読まれなくなった「文学」の代表として」。私は武田泰淳も野間宏も島尾敏雄も埴谷雄高も、そして井上光晴も、学生時代に読んだ。「読まなければならない」文学だった。考えてみたら、その後読み返したのは、島尾敏雄だけ。

たぶん私の学生もこれらの「戦後文学の旗手」たちの作品は読んでいないし、名前さえも知らないだろう。それでいいのかどうか。私は大学生の時、友人2人と福岡で井上光晴の講演会に行ったことさえある。あれは何だったのだろうか。

この本の題名の『今夜はひとりぼっちかい?』は、エルビス・プレスリーのAre You Lonesome Tonight?から来ている。これは内田裕也が1991年に東京都知事選に出て、NHKの政見放送でこの歌を英語で歌ったらしい。そして「おれ」は「ここには、文学がある!」と思った。

「「時代は変わり」、「戦後文学という物語」は終ってしまった。なのに、
終わってなんかいない!
と叫んでいるやつがいるのである」

この本にはほかにも、戦後文学の終焉を語る物語やエピソードがいっぱいだ。後半は東北大震災をめぐるエッセーのようだが、なんだかわからない。わからないが、戦後文学どころではないのはよくわかる。

私が学生時代に蓄えた「教養」は何だったのだろうか。幸いにして今は、「文学」ほどは忘れられていない「映画」を仕事にしているので、まだ気が楽だけれど。いつの日か、大島渚や今村昌平も、井上光晴や埴谷雄高のようになるのだろうか。

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コメント

90年代に起こったことは「教養」の死だと思います。すでに70年代、80年代に息絶え絶えになっていたのが完全に死んだ。新聞の文化面もそこで大きく変質してしまいました。

投稿: 古賀重樹 | 2018年12月13日 (木) 09時45分

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