母のお見舞い:その(7)
病床の母の見舞いに福岡に帰る日が続く。そこで何年ぶりかに会う姉たちと昼食を共にし、夜飲みに行く。これまであまり仲がいいとは言えなかった姉弟が、妙に打ち解ける。そこで驚くことがある。
みんなよく喋るのだ。まずは自分のこと、それから結婚相手、その親戚、子供、孫と続く。仕事のこと、会社、その同僚、新入社員などもある。自慢話も暴露話も。近所のレストランの看板娘が突然男性となって、今や女性と暮らしている話など、聞いてもいない、そもそも誰のことかも知らない話題が続く。
少し前に『しゃべれども しゃべれでも』という映画があったが(落語家の映画らしいが、見ていない)、その題名を思い出すくらい、みんなしゃべる。これは自分の家の伝統芸かと思うくらい。
考えてみたら、熊本の田舎から嫁いだ母は寡黙だった。時おり自分の意志をしっかり通すが、ふだんは長いものに巻かれろ、というのか、人と争うことが嫌いなタイプだった。
もちろん問題は父の方。もう20年以上前に亡くなったから書くが、よくしゃべる男だった。とにかく朝起きてから寝るまで話していた。そしてよく人を叱った。母親や子供たちに始まって、会社の従業員から出入りの業者さんまで。
一番覚えているのは、家を改築した時。襖の模様か何かが父が頼んだものと少し違うとかで、請求書を持って現れた工務店の親父さんを玄関で怒鳴って追い返した。「オレをなめとる」と息巻いていた。小学5年か6年生の私は、何というひどい父親かと思った。
姉と酒を飲んでわかったのは、みんな最初のピッチが速い。ビールが来たとたんに飲んでしまう。それ以前に店に入った途端に大声でビールを注文する。そして料理が遅いと店員をどなる。だいたい私と同じ。父親が宴席でどうだったか覚えていないが、きっと同じだったろう。
おしゃべり、短気、せっかち。私たちが父から受け継いだものはロクでもない、と言葉も出ないほど弱くなった母親を何となく理想化している。
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