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2019年1月 2日 (水)

『パッドマン』に何度も泣く

年末にわかりやすい映画を見ようと思って見たのが、『パッドマン 5億人の女性を救った男』。シネコンで予告編がかかっていたので、私はてっきりインドを舞台にしたアメリカのメジャー映画だと勘違いしていた。ところが始まって驚いたのは生粋のインド映画だった。

「生粋」かどうかは、インド映画に詳しくないからわからない。クレジットにソニー・ピクチャーズ・インディアと書かれていたから、インドのソニーのローカル・プロダクションかもしれない。2時間17分という長さはインド映画にしては短いかも。

ともあれ、見た印象はこれまで私が見たことのある約30本のインド映画と同じ(ドキュメンタリーなどいくつか例外はあるが)。つまり歌あり踊りあり、勧善懲悪、天国から地獄へ、そして再び天国へのジェットコースター、1分たりとも退屈させないくどい演出、結局は秩序を守る保守的な世界観などなど。

主人公のラクシュミは、妻が生理用品が高いので汚い布を代用しているのを見て驚く。そして自らナプキンを作ってあげるが、妻は恥ずかしがる。一途なラクシュミは一人で安価なナプキンの開発を続けるうちに、村の問題になって追い出される。

そこまでが前半でインターミッションのマークが出る。インドならここで休憩でアイスクリーム売りなどが出てくるのだろうか。日本では休みなしで後半へ。ラックシュミは借金をして1人でナプキン製造機を作るうちに、大学の先生の娘パリ―と出会い、起業コンテストに応募して入賞する。

パリ―の手助けで安いナプキンは爆発的に売れ、インド各地に工場を作って女性の雇用も増やす。そしてラクシュミはテレビや新聞に出て有名になり、国連の女性問題のセッションに招かれてスピーチをする。最後は故郷に錦を飾っておしまい。

いやはや、3回は泣いた。エジプト映画でも似たような感じがあったが、この強引な展開は何だろうか。世界の大半がハリウッド的なストーリー展開や演出なのに、インド映画は技術も美学も全く違う。「古典的ハリウッド映画」とは根本的に異なる体系がここにある。自分にはうまく説明できないが。

見終わって考えると、いろいろある。2001年で女性の生理を不浄と考えるインドの後進性をバカにして売り物にしている。妻は結局何もせず夫を追い出す側に加担したのに、最後は夫が帰ってくるのはあまり保守的ではないか。
国連のスピーチは泣かせるが、先進国の女性相手の田舎のユーモアたっぷりのヘタウマ英語はすべて計算しつくしたものだろう。だから泣けはしても、笑うシーンには乗らなかった。

いくらでも嫌な点は見出せるのに、それでも見た後のこの満足感はなんだろうか。キリスト教や仏教とは異なる新たな世界観の映画であることは間違いないが、それで説明はつくのか。

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