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2019年1月28日 (月)

母の死:その(1)

とうとう、母が88歳で亡くなった。もちろん、これまでも身近でたくさんの人が去った。30年近く前の父の死を始めとして、親戚、友人、先輩、恩師、教え子などが、何人も何人もいなくなった。しかし、母の死は違った。今思うと、父親は私にとって、「権威主義」「体制」「因習」といった大きな壁だった。

しかし、母はそもそも何かを人に押し付けることがなかった。あまり教育は受けていなかったが、何が正しいかは本能的に知っていた。私が母と会うごとに自分の愚かさや底の浅さを感じるようになったのは、最近のことだが。

葬儀で長男の私は遺族代表の挨拶をした。そこで彼女の亡くなった経緯を説明した後に、その人生をかいつまんで以下のように話した。

母は1931(昭和6)年に、熊本県中部の農村で生まれた。51年に20歳で福岡県南部に住む3歳上の父に嫁いだ。結婚したきっかけは、父がトラックで石炭用ムシロの集荷に行った時に、大きな藁の束を肩に抱えて来た明るい娘に驚いたのがきっかけという。

母は翌年の長女に始まり、わずか9年の間に4人の娘と1人の息子を生んだ。私は30歳の時に生まれた5人目。つまりは、(たぶん父や祖父が)跡取り息子が欲しかったのだろう。

父はその後石炭関連会社の社長となったが、母はその後も父の会社で働き続けた。最大の苦労は、その会社が1970年頃に石炭産業の凋落と共に倒産したことだろう。自宅の家具が差し押さえにあった時に母が泣いていたのを、小学2年生だった私はよく覚えている。

父はすべてを失った後も、新しい会社を作り、母と2人で仕事を始めた。それは幸いにして7、8年で軌道に乗り、昔とは比較にはならないまでも、私を大学に送るくらいの余裕はできた。

私がようやく就職して自活を始めた頃に、父が逝った。母はもう働く必要はなかったが、跡を継いだ姉夫婦と一緒に働き続けた。そして80歳頃まで仕事をしてようやく悠々自適の生活を始めたら、玄関前で転んで骨折で入院した。それをきっかけにリハビリや介護の施設に入ったのが4年前頃。

その人生がどんなものだったか、母はどう思っていたのか、もちろん知る由もない。しかし、われわれ子供たちはいつも頼りにしていた。何かの時の最後の砦のように。それが、もういない。

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