声のありがたみ
ここに何度か書いたように、めったに言葉も出なくなった九州の母のもとに通うことが増えた。だいたい寝ているが、揺すぶって起こし、こちらから大きな声で話す。すると目を開けて反応する。私に「あんまり酒飲みなさんな」と言った日は特に調子が良かったらしい。
そういう時も、2、3分すると、こくりと目をつむる。まるで何もなかったかのように寝てしまう。最近、姉の一人は帰り際に「ありがと」という声を聞いたと喜んでいた。とにかく声を聞くことが、見舞いに行く者にとって一番の喜びだ。
先日、渋谷で映画を見てH&Mのセールを見ていたら、スマホが鳴った。最近は電話はほとんどかかってこないので、かかってくると良くないことが多い。一番多いのは、大学の学生のトラブル。親からの抗議もある。
その時は相手の名前が出たので見ると、自分の大学のY先生だった。既に定年で大学にはいらしていないが、10年前に大学に移ってきた時はいろいろお世話になった。まさか携帯の番号を交換していたとは思わなかった。
彼が定年で非常勤になってしばらくして、彼の穴を埋める形で私が採用された。だから私にはいろいろ教えないといけない思ったのだろう。そのうえ、新聞社勤務で教師の心得も作法もまるで知らなかったので。
考えてみたら、Y先生は私の母と同じくらいの年齢。移動は車椅子だと聞いていたが、その彼がカン高い声でどんどん話した。要は、年賀状に昨夏に胆石の手術をしたことを書いたので、心配したようだ。
「胆石の手術は軽く見ちゃいけませんよ。手術の後で苦しんだ人も知ってますから」「それに術後17日後に海外なんていけませんよ」「さらに五十肩もあるとも書いてあったし」「あなたはウチの学科を担う人ですから、気をつけてもらわないと」
5分は続いただろうか。言語明瞭で、とても車椅子を使っているとは思えなかった。まるで自分の子供のように、優しく叱ってくださった。こちらはひたすら恐縮して聞き、最後に「元気なお声を聞けて嬉しいです」などと言うしかなかった。
声が出せるうちは大丈夫だ。Y先生はまだまだ元気だろう。お坊さんでもあった彼の特徴ある高音の声はまだ頭のどこかに残っている。声のありがたみ。ロラン・バルトの文章に「声の粒」という表現があったが、確かオペラ歌手の声について語った文章だったと思う。
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