日本統治下の韓国映画の「植民地メランコリア」
昨年末に私の学生が企画した映画祭「朝鮮半島と私たち」のために買った本で李英載著『帝国日本の朝鮮映画』(2013)があった。読もうとしたが難しいのでそのままになっていたが、本を整理しながらパラパラとめくっていて驚いた。
2004年以降に中国電影資料館から発掘された10本弱の日本統治下の映画を分析したものだが、副題が「植民地メランコリアと協力」。私がその時代の朝鮮映画に惹かれるのは、まさにこの「メランコリア」だったと思い当たった。
『志願兵』(1941)は小作農民の春浩の物語。恋人は別の男といるし、彼が地主の娘といるところを恋人に見られてしまう。さらに地主は唆されて小作を別の男に任せようとする。
この本にはこう書かれている。
「この映画の葛藤は、1938年の(映画の背景は1938年である)、京城近郊の中学校を中退した地主のエリート青年に押し寄せる葛藤の総目録である。世代(金対春浩)と階級(地主対春浩)と新旧女性(永愛対芬玉)のあいだの葛藤が触発され、折り重なる。問題は春浩の憂鬱がこの物語のなかで起こる葛藤に先立ってそれ以前(映画の物語が始まる以前)すでに始まっていたということだ。この憂鬱を一度に飛び越えられる出口は、唯一つ「志願兵になる」ことだけなのだ。
春浩の憂鬱を映画のなかで明らかにすることは、とても困難な作業である。なぜなら、この憂鬱は、映画のナラティヴと関係なく、製作者たちと観客の間で共有された前提であるからだ」
もちろんこの「憂鬱」は植民地という状態が朝鮮人全体にもたらしたものだ。それを考えると、当時のかなりの映画がこの感情に浸っていたことがわかる。例えば『授業料』(40)の主人公、栄達は、小学生なのに「憂鬱」を見せる。両親が出稼ぎに出て授業料が払えない栄達は、自ら学校を休む。先生が学校に来いと言っても聞かず、家で病気の祖母の世話をする。
この映画の「憂鬱」というか切なさは、『志願兵』」のように日本軍が現れることはなく、両親の帰郷で解決する。だからまだ明るいが、田舎道をたった1人で親戚にお金を借りに行く少年の孤独感は心に残る。
「植民地メランコリア」という言葉は気になる。今の日本もアメリカに支配された「植民地メランコリア」があるのではないか。沖縄を始めとした基地問題も「しょうがない」というあきらめから出るメランコリアが支配している気がする。
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