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2019年2月15日 (金)

人生の中抜け感

私にはこれまでの人生で、どうも「中抜け感」がある。通過すべきある地点を経ずにここまで来た感じというか。たぶん小さい頃は普通の田舎の子供だったと思う。それから、大学生になってだんだん大人になった。そして働き始めた。ここまではたぶんみんなと同じ。

大学生の時から少しづつ大人の考えを身につけていき、「社会」に出る。具体的には、どこかに勤め始める。もちろん「社会」は思い通りにいかないので、反発する。おかしいと叫ぶ。

つまりは、まだ半分学生の状態。普通はそこでだんだん「社会」を学び、無意味な文句を言わなくなる。そして何年かたつと「社会」を少し理解して、迷う若者を導くようになる。いつの間にか「社会」の側に立っている。

ところが私はいつも半分大学生のままで、文句ばかり言っていた。22年も会社員をやったはずなのに、いつも「おかしい」と言っていた気がする。あちら側というか、「社会」や「会社」や「制度」の側から話したことはあまり記憶にない。

40歳を過ぎると、むしろ若手をおかしな方向に扇動していたかも。2つの勤務先は私の方向性を理解したのか、「長」のつく役職を与えなかった。課長や部長や次長はおろか、係長も班長も、あらゆる管理職をしなかった。断ったのではなく、誰もやってくれと言わなかった。

そうしたら、47歳で大学で教えることになった。もう10年もたつが、ここはあまり「成熟」を必要としない。もちろん学生には毎日教えているが、持っている知識や経験を話すしかない。教えながら学生の反応を見て、自分も学ぶ。学生はそれを聞きながら、自由に取捨選択する。自分もそうだったが、大学教師の言うことをすべて真に受ける学生はいない。

つまり、大学教師は管理職ではない。あくまで個人として活動していて、「社会」のような壁にはならない。いわば単なる参考例。これから壁に向かう学生に、アドバイス「のようなもの」を与えたり、仕事のきっかけを作るくらい。

私はそれでも会社員をしていたが、9割方の大学教師は社会経験もないから、そもそも「社会」を教えようとは思っていないし、できない。それは学生が卒業後に自分で取り組むもの。

一方、60歳に近づいた今、自分は大学生から突然老人になった気がする。不良老人の始まりで、これが私の「中抜け感」。損したような、得したような。こんな感じを持つのは、私だけだろうか。

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