『バーニング』の強さ
韓国のイ・チャンドン監督の『バーニング 劇場版』を劇場で見た。見終わると、満員の観客がまるで狐につままれたように戸惑い、そして彷徨っている感じが伝わってきた。それぐらいの「強さ」を持つ映画だった。
実は昨年9月にパリで見ていた。カンヌではパルム・ドールを取った『万引き家族』より高い評価だったようなので、早く見たかった。ところがその時は旅の終わりで疲れていたこともあって、映像の迫力は感じながらも、今一つ乗れないままに終わった。
今回見て、パリで響かなかったのは日本語字幕がなかったからだと思った。例えば主人公が再会する幼馴染の女・ヘミが語るアフリカの「リトル・ハンガー」と「グレイト・ハンガー」の話は、仏語字幕ではよくわからなかった。この映画はこうした謎の細部に満ちていて、その集積が本筋になっているから。
大卒で兵役を経たジョンスは、作家志望のフリーター。ソウルの町中で、特売品のキャンペーンガールをしているヘミと再会する。2人はヘミの部屋で関係を持つが、ヘミは猫(どこにもいない)の世話を頼んでアフリカに旅立つ。
ヘミが帰国した時、ジョンスが迎えに行くと、裕福だが謎めいた青年ベンと一緒だった。ベンは時々汚いビニールハウスを焼くと話す。ある日ベンは、ジョンスの住む北朝鮮国境の近所のビニールハウスを焼くと予告し、ヘミが姿を消す。
単なる連続殺人事件なのだが、出てくるすべてが妙だ。主人公の父は暴力事件の被告で裁判中だし、家を出た母は急に息子と再会しても、スマホばかり見ている。ヘミの話は雲をつかむようだが、その母や妹に会うと、彼女のカード借金が大変だと聞かされる。
ソウルの江南地区に住むベンはポルシェに乗り、絵に描いたようなリッチな生活を送っている。しかしどこか現実味がない。ベンはヘミを連れてジョンスの家にやってきて3人は庭で夕日を見ながら酒を飲むが、大麻を吸ったヘミは服を脱いで夕暮れで踊りだす。その美しさといったら。
数々の不気味さが、後半に向けてサスペンスに向かう。その奥には韓国というより、現代社会特有のいくつもの闇が見えてくる。そして見終わると、すべてはジョンスの夢だったのではないかとさえ思える。それくらい、映像に酔いながら同時に「見る」ことの不安を感じさせる映画だった。
パリで見た時は気づかなかったが、NHKのクレジットがある。NHKが村上春樹の短編を海外の監督に演出させるプロジェクトという。普通そういう企画はあまりいい結果を生まないが、この映画はとにかくすごい。
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