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2019年3月11日 (月)

父の話:その(2)

昔の思い出は、残っている写真と結びつくことが多い。その後に写真を見て、記憶と組みあわせるから。私が父と一緒に写っている写真はあまりないが、まだ小学校に行く前の海辺の写真が一枚ある。2つ上の姉と一緒だが、3人とも後ろ姿なので他人には誰かわからないだろう。

その写真の横には私のヘタな字で「父と志賀の島で」と書いてある。小学生の低学年の時に振り返って書いたのだろう。その横の写真では「玄関で」を「げんかんで」と平仮名で書いている。

「志賀の島」とは、博多湾の陸続きの「志賀島」。なぜそこに行ったのか。たぶん、その近くに父はゴルフに出かけて、その空いた時間に子供と海に出たのかもしれない。小さい頃、父と言えばゴルフだった。

会社の社長をしながら、暇さえあるとゴルフをしていた。緑や黄色のズボンをはいた姿は正直気持ち悪かったし、ゴルフ場の食事は高いばかりであまりおいしくなかった記憶がある。父は取引先や近所に住む医者とあちこちのゴルフ場に出かけた。時おり母は小さい子供たちを連れて同行した。

家でも父はテレビでよくゴルフ番組を見ていた。私はあれほどつまらないものはないと思い、大人になっても絶対にゴルフはしないと心に決めていた。幸いにして、これまで仕事の必要でゴルフをすることはなかった。

ゴルフ以外で父と出かけたのは、社員旅行。雲仙や阿蘇にバスを連ねて行った。どこかの海で父は泳げない私を連れて、どんどん沖の方に連れて行った。そして足がつかないところで、私を放した。一人で泳ぎを覚えさせようとしたのだろうが、私は溺れて水を飲んだ。父の会社の誰かが見かねて手を差し伸べてくれたからよかったが。

そういう自分勝手というか、強引さが苦手だった。私が4人もいた姉の真似ばかりしていたことも、父の怒りのタネだった。とにかく「男は台所にはいっちゃでけん」と言う人だった。

その後の父との思い出は、小学校3年生の時に剣道を始めてから。前年に父の会社が倒産し、父は裸一貫で新しい商売を始めていた。「体を鍛えないとでけん」と言い出して、町の道場に連れて行った。

ところがしばらくしてから、父も一緒に道場に通い出した。戦時中に数年間習っていたと言っていた。本物の先生に比べたら技術的には未熟でも、大人なので何となく指導者のようにふるまっていた。私はそれが嫌だった。

6年生の時、町の選抜試合で選ばれて、東京の日本武道館での全国大会に行くことになり、父が同行した。その時の父の写真が何枚もある。どれも不機嫌そうなのは、我々が予選で負けたからだろうか。父と普通に話したのは、その時までのような気がする。

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