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2019年3月 2日 (土)

『こどもしょくどう』の真っ当さ

3月23日公開の日向寺太郎監督『こどもしょくどう』を見た。数年前から、親が食事をまともにさせない子供たちのために「子ども食堂」が全国に作られているというニュースは何度か読んでいたから、気にはなっていた。

両親から虐待を受ける子供との映画と言えば、昨年『万引き家族』があって、あの一種ファンタジーのような世界に完全に引き込まれた。考えてみたら、あんな特別な家族はめったにいないのだが、映像と語りのうまさで乗せられてしまった。

それに比べたら、この映画は普通にありそうな話を見せる。ユウトの家は町の食堂で、母親しかおらず学校で虐められているタカシはユウトの家で夕飯を食べている。そこに、河原敷に置いた車に父と暮らす姉妹が現れる。ユウトは最初はこっそり食事を持ってゆくが、ある日2人を家に連れてくる。

ユウトの両親は、とにかく食事は食べさせるが、あえて動こうとはしない。そんななかで、ユウトは姉妹の両親を見つける旅に行くことを決める。

中心となるのはユウトであり、彼が世界の過酷な現実を「見る」ことがこの映画を動かす。最初は大人と同じく見て見ぬふりをするが、次第に体が動き出す。それに呼応して世界が変わる。

寡黙なタカシの存在が効いている。姉妹ほどひどい状況ではないが、母親は水商売で時おり若い男を家に連れ込む。タカシは母にも、いじめる同級生にも、優しいユウトにも無言のまま。しかし彼も自分よりずっと不幸な姉妹を「見る」。そして足を踏み出す。

苦しい状況の姉妹の演技が少し過剰な気もするが、彼らも両親を探しながら厳しい現実を「見る」。その意味では、事実を追認していくだけのユウトの両親である吉岡秀隆と常盤貴子は型通りで弱いが、それは演出の意図したところだろう。

この映画は、実は子ども食堂を作る話ではない。しかし子供たちの「見る」ドラマの果てに、「こどもしょくどう」のイメージがくっきりと浮かび上がる。その意味で直球の真っ当な映画だった。哲学者のジル・ドゥルーズがネオレアリズモからヌーヴェルヴァーグに至る現代映画の誕生を、「見る」人の映画と書いていたことを思い出す。

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