満員の展覧会を考える
昨秋から開かれていた「フェルメール展」についてはここでも書いたが、東京展が先月終わって68万3458人だったという。私は100万人行くと思っていたが、そんなことはなかった。会期が121日だから、一日平均5649人。
2008年の東京都美術館の「フェルメール展」が93万人だから、それに大きく及ばない。やはり前売り2500円、当日2700円という前代未聞の高値が効いたか、あるいは全日日時指定制という面倒さがよくなかったか。
私の考えは、もはや展覧会に熱狂する時代は平成と共に終わったのではないかということだ。正確に言うと、むしろ昭和の時代の産物のような気がする。展覧会の1会場で100万人を越したのは、平成では1994年の「バーンズ・コレクション展」の107万1352人のみではないか。
この時は「門外不出のコレクション」ということもあったが、それ以上に5億円と言われた借用料を取り戻すべく、読売と日テレが驚異的な宣伝合戦を繰り広げたのを覚えている。その直後の展覧会を担当していたので何度も西美に行ったが、トイレが込み過ぎて下水が壊れ、異臭を放っていた。
その前は「万国博美術展」(1970年、万国博美術館、178万人)、「モナリザ展」(1974年、東京国立博物館、151万人)「ツタンカーメン展」(1965年、東京国立博物館、130万人)となる。やっぱり、1970年前後の高度成長期のあの熱気である。
万国博美術館は後に国立国際美術館となり、さすがにあまりに人が来ないので、老朽化もあって2004年に大阪の中之島に引っ越した。もともと大阪万博自体、6421万人も入っているので、そのうち数パーセントが美術展に流れたとしても不思議ではない。万博の期間と同じく半年もやっていたし。
さて内容はというと、世界41カ国から借りて、「世界美術史」を見せる壮大なものだったらしい。ギリシャ、エジプトから、西洋、中国、日本へと至る壮大なもので、総点数700を超すという(常時500点)。
こんなことが細かく書けるのは実は浅野敬一郎著『戦後美術展略史 1945-1990』(求龍堂、1997年)があるから。浅野氏は朝日新聞の学芸部や事業部にいた方のようだが、さすが新聞記者らしく、内容だけでなく入場者数と主催の新聞やテレビまで明記してあるのがいい。
さて戦前はというと、「紀元二千六百年奉賛展覧会」(日本橋高島屋、1939年)がわずか18日の会期で100万人を超したという。戦時中の戦争画展の熱狂については後日書くが、この時期の熱狂と高度成長期が重なるのが、何とも興味深い。
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